2016/04/30

自然薯の ぞうさん

自然薯 の ぞうさん
ぞうさん
ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね そうよ じねんじょも ながいのよ。

じねんじょ じねんじょ ねっこが ながいのね そうよ ぞうさんも ながいのよ。

2016/04/13

鳥の話題ふたつ

キジ

雉 キジ
海岸近くにキジ(2016.04.08)
暖かくなってきたので、朝、日が昇る頃、散歩に。
なんと、海水浴場の近くにキジを発見。
さすがに浜辺の砂の上にいたわけではなく、波打ち際から100メートルほどはなれたところの原っぱ。羽の手入れをしたり、あたりをキョロキョロと見ていたりしている。キジといえば 「雉も鳴かずば撃たれまい」 という格言があるくらいなので、普段は茂みの中に身を潜めているのではなかったか。こいつは、草原の真ん中で堂々としていたんだね。
こんなに のんびりと恐れる気配もなく「羽づくろい」いをしているということは、人に飼われたいた個体かもしれん。大空を飛んでいるキジなんて見たこともないので、山から飛んできたわけではないだろう。
オスのキジは縄張りを持って生活をしているということなので、こんなところで、のんびりとしていていいんだろうか。海岸に縄張りを築いても餌は少ないだろうし、メスに巡り合うこともなかろうに。

トンビ

泥棒鳶
泥棒トンビ(2016.04.10)

息子夫婦と一緒に公園へ花見。
手作り弁当、少しの酒。孫も一緒なので楽しいひと時・・・よくある風景。ちょっと散りかけてはいるもののまだ桜の木は一面ピンク。どこかでウグイスの声。空にはトンビ。
ああ、このトンビ怪しい。弁当を狙っている感じ。
”♪  ・・・ トンビがくるりと 輪を描いた ホーイのホイ そこから 東京が見えるかい 見えたらここまで降りてこい ・・・”
息子が、皿を持ったまま立ち上がった・・・その瞬間・・・来たね、トンビ。背後から音もなく舞い降りてきて唐揚げを盗んで飛び去った(東京が見えたからホーイホイと降りてきたのではなかった)。
「鳶に油揚げをさらわれる」という諺そのもの。例え話ではなく本当に盗まれた。「油揚げ」ではなく「カラ揚げ」ではあったが。

怖い怖いといいながらも、少し面白い。チビがさらわれるぞとか冗談を言いつつ、花見続行。すると、今度は、木にとまったトンビがじっとこっちを見ている。怪しい。
来ました、泥棒トンビ第二弾。今度は私の家内に。家内は食べ物を持っていないのに、ちょっと差し上げた手に狙いをつけてすっ飛んできた。

 家内 いわく 「何も持ってないのになんでかなぁ」
 トンビいわく 「豚足かと思ったら違った」

泥棒の現行犯の写真を撮ることはできなかったが、上の写真は、しばらく周りを低空飛行していた泥棒トンビ。

淡路島公園 桜
淡路島公園の桜(2016.04.10)


2016/01/06

この木、何の木、小さな木、だけどやがては大きな木

この木、何の木、小さな木、だけどやがては大きな木、大地のめぐみ、大きな木。
何万回も陽は昇り、何万回も朝が来る。奇跡の地球(ほし)は毎日奇跡を起こす。
この地球の奇跡。君がここにいることも大地のめぐみ、めぐり合いの奇跡。

君と一緒にいられることはそんなに長くない、
君は、いつか、恥ずかしくって、迷惑で、独りよがりな青春時代をくぐり抜けるだろう。
努力は裏切ることがある。何もかもうまくいくわけでもない。
そんな時、
じいちゃんは、スナフキンのようになろう。理不尽でやりきれない世界の出口を見つけてあげることができるかもしれない。
じいちゃんは、ルイアームストロングのようになろう。この素晴らしき世界を歌ってあげることができるかもしれない。

三歩進んで二歩さがる・・それもいいかもね。だけど、さがらず一歩づつ、ちょっとづつ進むほうがいい。簡単じゃないけど大切なこと。

不器用に生きていることは、ちょっとつらいかな。いやいや、そうじゃなくて、案外と不器用な人生ってのは幸せなのかもしれない。
不器用なじいちゃんと、やっぱり同じように不器用ファミリー。ゆるやかに流れる時間を話すように歌うことができたなら、私は本物のフォークシンガーになれるかな。
じいちゃんの時計が止まって土に帰ったあとも、君はそんな歌を思い出してくれるだろうか。

この木、何の木、小さな木、だけどやがては大きな木、大地のめぐみ、大きな木。
何万回も陽は昇り、何万回も朝が来る。

2015/07/31

唸りとブルームーンとワイパーの大統一理論

唸りと ブルームーンと ワイパーの 大統一理論

ブルームーンという言葉は、複数の意味がある。
その名の通り、大気の状態で月が本当に青く見えること。月が青く見えるのはそう度々あることではなく、火山の噴火によって大気の塵の影響であったりするという。

本当に青く見える月はさておいて、ここに書こうとしているのはもう一つのブルームーン。同月に2回満月があり、その2回めの満月をブルームーンという。これは、何らかの文献で間違った表記をしたことにより、青くもないがブルームーンと呼ぶようになったという。2015年7月は2日と31日の2回の満月。3年に1度の現象。
月の満ち欠けはだいたい「29.5日」で、1ヶ月間の平均は「30.4日」なので、ちょっとずれてる。若干早い月の満ち欠けによって1ヶ月間に2回満月が表れるというくらいは、コンビニでお釣りの計算ができない私でもだいたい分かる。

唐突に(そして強引に)音楽に当てはめると、これは「うなり」の現象と同じだ。うなりは、音の高さがほんのすこしだけ異なる二つの音が鳴っているとき、各々の基音の周波数の差に相当する周期で音の強弱が聞かれる。ギターのチューニングをする時などにおこるね。
この「周波数の差に相当する周期」が月の満ち欠け「29.5日」と、1ヶ月間の平均は「30.4日」にも起きている。音の唸りとブルームーンでは時間のスケールがあまりにも違うとしても同じ現象だったのである。この理論を「唸りとブルームーンの統一理論」と呼ぼう。

さらに、すこし場面が違うのであるが、雨の日に車を運転していて信号待をしているとしよう。前の車のワイパーと自分の車のワイパーの窓を拭う早さが違うにもかかわらず1分間に1度くらいシンクロするみたいに同じ動きをすることがある。これも、うなりと同じ現象なのである。この理論を「唸りとブルームーンとワイパーの大統一理論」と呼ぼう。この理論、アインシュタインが生きていたら絶賛の言葉をいただくことになったはずだ。

月の平面説

それにしてもなんだね。7月31日の夜中にブラっと散歩に出かけて満月を眺めておったのだが、あらためて「なんで月は平べったいのだ」と不思議に思うことしきりであった。
月が平らに見える不思議は、なにもこの夜に感じたことではなく、以前からの疑問ではあった。月は球の形をしているのだから、太陽の光があたれば球の形に見えるはずだ。満月じゃない時(半月や三日月の時)はなおさら。太陽の光が斜めからあたっているのにやはり平面に見える。
これはおかしい。ね。おかしいでしょ。
いやまて。ひょっとしたらお月様は本当は紙のように薄っぺらい円形の物体なのではないか。
「♪ 出た出た月が まーるいまーるいまん丸い お盆のような月が」‥‥ そうだ、月はお盆のように平べったい。球の形をした月の実物をあなたは見たことはあるか。私達は平面の月しか見たことがない。
アポロ11号が月に到着したかもしれない。立体的に写った写真があるかもしれない。だがそれはメディアの映像だ。本物の月はいくら眺めても平面である。むしろ、真ん中あたりが暗く縁のほうが明るいので中心が凹んでいる薄っぺらい円盤に見える。メディアを信用するか、自分で見たものを信用するか。
私達は自分で見たものを信用することにしよう。
これを「月の平面説」と呼ぼう。

いやいや、もっと疑うのなら。月は天空の大きなスクリーンに投影されているのかもしれない。だれかが、山のてっぺんにオーバーヘッドプロジェクターかなんかを持ち込んで夜になると空に写してる。でも、とんでもなくでっかいスクリーンが必要だな。無理か。それにOHPは昔むかしには存在しなかったか・・・残念がら「月のスクリーン投影投射説」は却下。

2015/07/23

K.Country 糸巻きペグを交換した

中学生の時、親に買ってもらったギター、高校生の時夏休みのアルバイトで買ったギター、ゴミ箱から拾ってきたギター、質屋で買ったギター。
そして、今も使っているのが就職してから買ったギターで、36~37年くらい前に入手したやつ。7万円。神戸の弦楽器専門店で買った。

高校卒で初任給が3万円。就職して数年後、おそらく給料が5万円ほどの頃だったろうから、7万円のギターというのは私にとっては とんでもなく高級品。ギブソンとかマーチンとかは憧れではあったが、そんな超高級ブランドには手が出ない。
というか、憧れではあっても、そんなにこだわる方ではない。裏板の材質がどうの、表面の響板の材質がどうの、というのもあまり興味がないし、知識もない。

もうすぐ62歳になる。あの頃、どういう基準でギター選んだのか(買ったのか)よく分からんが、派手じゃなく、ネック・指板がしっかりしてたらそれでよし、としたのだと思う。
何だかんだと薀蓄を並べてみても、ギターの音なんて安物も超高級品もそんなに変わりはしない。新しい弦を張って、適当な演奏技量があれば皆同じではなかろうか。

さて、その神戸の弦楽器専門店で買ったギターは K.Country とヘッドに表記されている。東海楽器製だ。このブランドは、今も(一部で?)人気があるようだが、人気がどうのというのにも、また、あまり興味がない。繰り返すが、ネックと指板がしっかりしていたらそれでよし。よほど質の悪いギターでない限り適度にいい音が出る。

弦楽器というくらいだから、音を出す原動力は弦だ。弦の質は大事である。ギターの本体よりも弦の良し悪しで音質が左右されるだろうが、市場に出回っている弦は総て高品質である。
高品質であっても長く使っていると手垢やサビなどがついてモッコリとして響かない音になってしまうけどね。このモッコリ音は、どんな高級ギターでもカバーできない。

そんなこんなで、40歳を過ぎたころから、ポンコツ・サラリーマンで大した仕事もできないくせして忙しい毎日が続き、ほとんどギターを弾くことはなかった。
60歳を過ぎ、念願の定年退職。死ぬまで好きなことをして暮らしたい・・・・と、ワガママな性格は努力せずとも発揮できる。ボケ防止にもなるかもと適当にポロリンポロリンとやっておる。ワガママだけではなくグータラでもあるので、それこそ適当だがね。

K.Country ギターのヘッド(裏側)
K.Country ヘッド部分(付け替える前) 
そんなある日、ふと、何を思ったか糸巻きペグ(マシンヘッド)を変えてみようという気になった。コダワリのないはずの私ではあるが ちょっと見栄えが気になった。
もともと私の K.Country の糸巻きペグは それほど立派なものではなかった上に、メッキが剥がれてきて、何かしら貧弱に見えてきた。見栄えを気にしている自分がまったく似つかわしくなくて恥ずかしいという側面もあったりするのだけれども、早速、インターネットで糸巻きペグを入手した。

頑丈で適度なトルクは必須。とはいえ、アマゾンの写真だけでは分かるはずもない。グローバーのタイプなら間違いなかろう・・・ただし本家グローバーは高い・・・安物の自転車が変えるほどの値段だし。いろいろ迷ったあげく GOTOH(日本製)を調達(これも安くはないけどね)。
アマゾンで買った GOTOH のマシンヘッド
アマゾンで買った GOTOH の糸巻きペグ
早速、付け替えた。
付け替える前は「ピカピカになって高級感漂う状態になるー!」と、ウキウキしていたが、たしかにピカピカになったものの「こんなものか」ぐらいで、予想した「嬉しさ」は、さほどでもなかった。頑丈で適度なトルク ・・・ これは当たり前で、もともと付いていた糸巻きペグと、さほど変わり映えはしなかったりしてね。
それでもまあ、少々士気は上がったので、気合を入れて「ボケ防止の六十の手習い」として再出発することにしよう ・・・ もともとボケているので、ボケても気づかないってか ・・・ そうかもしれん。

2015/06/29

カブトエビ

子供の頃
 私が子供のころ、テレビなんぞまだ家庭に普及していなかった頃、昭和30年代。
あの頃、私の家のまわりの路地の路面は土である。放し飼いが当たり前の犬はそのへんにウンコしまくりで、ウンコはあちこちに転がっている。雨が降るとウンコは地べたに吸い込まれる。日のあたらない路地では赤い色をしたベンケイガニがこそこそと歩いているのを見かけることもある。見つけた時は、ゆっくりと歩いているが人が近づくとすっとんでどこかに隠れる。
路のすみっこにはアリはもちろん、マルムシ、ワラジムシがはい回っていた。土を1/3ほど入れたガラス瓶に、こいつらを入れて「動物園」と称して飼っていて近所の友達に自慢してたなあ。アリは10匹ほど入れておくと狭いガラス瓶の土に孔を掘って巣を作る。ビンの内壁にそって孔を掘るので巣の中身が丸見えだ。それにしても、無作為にとらえられた10匹ほどで新規アリ家族としての統制がとれるとは不思議であるが本当である。

もちろん、路地裏の虫をつかまえるだけが子供のころの趣味だったわけではない。子供のころは子供らしく、野原や森の中や海で遊ぶことのほうが多かった。

冬。
山や池の土手で少し大きな石を持ち上げるとシマヘビがとぐろを巻いて眠っていたり、池の底にある葉っぱや朽ちた木の下にカメがいたりする。カメは真冬だから動かずに眠っているはずなのに水の中でどのようにして呼吸してるんだろう。何ヶ月も息をしないのか。子供ながらにそんなことを考えたりした。
そうそう、思い出した。カマキリの卵事件。まだ寒い時期、細い枝に産み付けられた卵のカタマリを家に持って帰ってカゴに入れていた。もちろん、卵が勝手に逃げ出すことははないのでカゴに入れておく必要はないのだが、子供が生まれたら逃げ出さないようにとの配慮だ。
暖かくなって、子供が生まれたね。いっぱい生まれた。カマキリの子供は想像したより小さい。配慮が足らなかった。カゴの隙間からどんどん逃げていく。部屋は子カマキリだらけになった。

夏。
海である。背中の皮が日焼けで二度むけする。海底の砂を掘りおこすとアサリが無数にいた。大げさではなく無数だ。
カワハギの子供やヨウジウオは、海藻の陰や岩の陰でじっとしている。危険を感じて逃げる時はすっ飛んで逃げるが、ゆっくりゆっくり1秒間に10センチメートルほどの早さで近づくと気づかれない。さらにゆっくりゆっくりと手を近づけて、ふいにシュワッと掴むと素手で捕まえることができる。波打ち際近くの砂浜に穴を掘って、簡易水族館みたいにして遊んでたりした。
 そして、森や野原では、高い木の上に隠れ家を作る、クワガタムシをとる、セミをとる、キリギリスをとる、トンボをとる。キリギリスは食べ残しのスイカの皮の部分と一緒にカゴに入れておくとスイカのヘタをかじりながら「キリギリース・チョンッ」と昼の間、鳴いてる。ちなみに、キリギリスのなき声は、「ご破算で願いましては ・・・」と、算盤(そろばん)をリセットする時の音に似ている、が算盤の音を聴いたことがない方も多いかな。
 話は戻ってトンボ。トンボは広い場所が好きだろうからと蚊帳(かや)の中に放す。その中を飛び回るに違いないと思いきや、まだ元気があるはずのトンボはいっさい翔ばず。トンボは明るい方を背にして翔ぶというのは大人になってから知った。
さらに、池や川では、オタマジャクシ、アメリカザリガニ、テナガエビ、ミズカマキリ、タイコウチ、ゲンゴロウ、ガムシ、マツモムシ・・・つかまるものは何でも家に持ち帰って飼っていた。ヒルは、つかまえずとも血を吸うために足に何匹もくっついてくるが、持ち帰って飼う気にはならなかった。

さて、表題のカブトエビ
 とはいえ私は、特別に虫好きなわけではない。ほとんどの男の子がクワガタムシやトンボが好きなように、私もそのひとりだっただけだろう。でも、カブトエビは好きだったな。60歳を超えた今でもカブトエビは哀愁の虫だ。虫といっても昆虫ではなく、大きなミジンコみたいな生き物だけど。

水田のカブトエビ
カブトエビ 淡路市の水田にて(2015年6月29日)
うまく撮影できていないので ちょっと分かりづらいね。
1匹だけを拡大してみた。
1メートル四方に50匹ほどいただろうか。
定年で会社を辞めてから早朝に散歩に出かけることがある。散歩の途中、まだ背の低いイネが並ぶ水田を見るたび「昔はカブトエビがいっぱい泳いでいたよな」と、懐かしく思いつつ定年後の2014年、1度めの6月は過ぎた。
そして、2015年 2度めの6月、やはり「昔は水田にカブトエビがいっぱい泳いでいたよな」と、カメラをバックパックに入れてダラダラと歩いていたりした。
勝手な想像だった。昔は、小川や溜池にいろんな生物がわんさかといたが水質が云々でいなくなった、と勝手に世間の情報を鵜呑みにしてた。6月初旬、水田をちょっとだけ見たが哀愁のカブトエビはやはりいなかった。
6月29日、いるはずもないだろうけど、もう一度 念入りに見てみよう。ひょっとしたら1匹だけども と思いつつ、畦(あぜ)に座り込んで水面下を見た。いたんだね、カブトエビ。それも、昔と変わらずいっぱい。泥をかき回したり、仲間とからみ合ったりして元気に泳ぎまわっている。念入りに見るまでもなく、水面近くに顔を近づけるだけでカブトエビの永久なる繁殖を見ることができたのだ。
 ああ、そうだ。カブトエビは人類が誕生する以前の遥か昔から生きてきた。何十年かの間に、そう簡単に消えてしまうこともあるまい。冬の間は卵で土の中、初夏になり水に浸ると生まれてくる。中学生時代、高校生時代、会社勤めの何十年間、こいつを見たことはなかったが、その間もカブトエビの野郎は毎年とぎれず産まれてきてるんだと知った時、なんか嬉しくて30分ほど水田の中を見ていた。 2億年以上もの間、子孫を残してきたこの小さな虫。人間どもは生きている化石とやら勝手なことを言っとるが、そんな発言をする人間どもの数十万年の歴史こそが浅すぎるんだよね、小さすぎるんだよね。

 それにしても何ですな、ちょっと覚めた目で見てみると、水田は人間が作ったものだし、カブトエビは水田にしかいないのかな。もしそうだったら、なんかおかしい。人間の生活活動としての稲作は、数千年前から。カブトエビは2億年から。カブトエビの棲息は水田。
うーむ、この謎は解けそうもない。外国では水田以外にも棲息してるのやろかね。

2015/06/24

淡路島公園

デッカイ毛虫
地面をのそのそと緑色のデッカイ毛虫が歩いていたので撮ってみた。いったいどこへ行こうとしているのだろうか。行き場所が決まって歩いているのだろうか。おそらく適当に前に進んでいるだけかもしれない。人間である私だってその日の行動は適当である。毛虫は前に進んでいるだけ偉い。
ヤママユガ の 幼虫
ヤママユガ の 幼虫
 調べてみると、このデッカイ毛虫はヤママユガという蛾の幼虫だと分かった。ヤママユガは知っている。親もやはりデッカイ。夏の夜、灯りにつられて飛んでくる茶色い蛾。夜の公衆トイレの壁にベタッと張り付いていたりする。


クマバチ
ブンブンと大きな音をたてて飛び回るので、なんか怖いイメージがあるが、人にはほとんど興味を示さない。アシナガバチやスズメバチのように人を毒針でさしたりはしない。でも毒針は持っているらしいけど。
クマバチ(キムネクマバチ)
クマバチ
クマバチには何種類かいて、胸のところが黄色いのが キムネクマバチ。クマバチといえば、通常このキムネクマバチを指すようだ。

ハチがブンブンといえば、こんな童謡。
  ぶんぶんぶん はちが とぶ
  お池のまわりに 野ばらが咲いたよ
  ぶんぶんぶん はちが とぶ
この童謡はボヘミア民謡に日本語歌詞をつけたもの。

以上、撮影は6月の晴れた日。淡路島公園にて。
ちなみに、私は 虫の生態には興味があるが、虫そのものが好きなわけではない。わざわざ断りを入れる必要もないが ・・・。

2015/06/22

三熊山

インドア派である。定年退職してから、1日のほとんどが寝てるかパソコンに向かってるかのどちらかという生活が続いている。ほんの少しだけ、早朝に自転車に乗ったり散歩したりというのもあるけれどね。外に出かけるのが嫌いなわけでもないが、現状はインドア生活 98% というところか。
そんな中、孫が家にやってくるのが(めちゃ)楽しみではあるが、孫にあまりデレデレとするのは「カッコ悪いぞ」となぜか私自身に言い聞かせているところがあって、できる限りデレデレ態度を制御するようにしてる。おかしいね。いや、おかしくない。やっぱりおかしいか。よく分からん。

三熊山の洲本城跡にて
三熊山 洲本城跡
で、息子夫婦からバックパックを頂いてね。早速というわけでもないけれど、カメラを詰め込んで、三熊山まで。
おきてる間、ほとんど椅子に座っている状態なので、たいした石段でもないのに上りに息切れ、下りは怖い。上りの息切れより、下りの石段が怖いというほうが歳を感じる。
愛車といただいたバックバック
わざとらしくバックパックをボンネットに置いたりして
本丸のある頂上は高い場所にあるわけでもないし、すぐ近くまでクルマで行ける。山というよりは、ちょっと小高い丘という感じ。
人は少ない。老夫婦が2組ほど居たぐらい。

すこぶるわざとらしく、いただいたバックパックをクルマのボンネットに置いて写真を撮ってみた。孫用にも同じ種類のちっちゃなちっちゃなバックパックがあって、孫がもう少し大きくなったら、私と同じバックパックで二人で出かけて ・・・・ なんて デレデレ してはいかん。
自分の部屋でひとりだけの時、孫の写真を見てニヤけておるが、内緒である。

2015/06/20

2015年 6月。


6月。木々の若い葉は少し色濃く。
そして生まれたての若い虫がいっぱい。 写真 : 2015年 6月
バッタ
ばったの写真
尺取り虫? かな?

♪ 6月の朝雨上がり 寝転んだまま ・・・
♪ 物憂げな6月の雨にうたれて ・・・
♪ 6月の雨には 6月の花咲く ・・・
♪ 僕はカエルだ あわただしい日々が続き ・・・

みどりご みどりのくろかみ ・・・ 「みどり」は活き活きとして若々しい様子。
6月は好きですね。
 ♪ ・・・ 少しばかりでも雨がふると 心がとっても 落ち着く感じがする。

2015/04/01

1001

ほとんどテレビは見ないけれども『ラッスン ゴレライ』は知ってる。

なぜか 若い頃読んだ星新一のショートショート『ミドンさん』を思い出す。

ノンフィクション作家・最相葉月『星新一 1001話をつくった人』

本日、近くの FamilyMart で『タバコ(MEVIUS)2個とBOSSのブラックコーヒー』を買ったら総計 1,001円 だった。

メビウスと缶コーヒー
1,001円 = たばこ2個 + 缶コーヒー

2015/03/12

この素晴らしき世界

M への手紙 そしてついでに D にも
1950~60年代アメリカのミュージシャン、ルイ・アームストロング(愛称 サッチモ と呼ばれています)が歌っている「この素晴らしき世界」というのがあります。
私は、英語が分からないけれども「木々の緑 青い空 白い雲 空の虹・・なんて素晴らしいんだろう」という唄(Webで翻訳)。

そして、こんな詩 ・・・・。

『♪・・・・赤ん坊のなき声が聴こえる
赤ん坊が成長していく姿
そして子供達は、大人の想像を超える たくさんのことを覚えていく
僕はつぶやく
「この世界はなんて素晴らしいんだろう What a Wonderful World」と・・・・』
地球からはなれて、宇宙ステーションに滞在している宇宙飛行士は「今一番聞きたい曲は?」という問いに「ルイ・アームストロングの この素晴らしき世界」と答えたらしい。
この単純な詩と単純なメロディは、単純に感動する。

私は、おじいさんになって、あらためてこの単純な唄を何度も聴いてます(YouTubeですが)。
おそらく、この唄は100年経っても世界の名曲のひとつとして挙がるでしょう。
言葉で ありがとう とはなかなか言えない古臭いオヤジですが、バカ息子 D がいっしょに命をつないでくれるすてきな女性とめぐり合って本当に良かったと思っています。
(晃)

2015/01/09

プラモデル

プラモデルのクルマ
二人の息子がまだチビだったころ。1991年~1993年ごろだと思う。おもちゃ屋さんへ息子達をつれて行くのだけれど、どうも私自身がプラモデルにハマったようで、土曜・日曜はプラモデルばかり作ってた。
現在、30歳を過ぎた長男は「(あの頃)僕らをオモチャ屋へ連れて行くというより、オヤジがオモチャ屋へ行きたかったんや」と、その時の思いを暴露。当時まだ息子は幼いながらも、私の邪道な行動に気づいていたようだった。ちょっとはずかしい。
上の写真は、その頃作ったプラモの一部分。
別のサイトで 世界の自動車をプラモデルで紹介 と題して まとめました。

2014/11/27

息子夫婦に子供が生まれた。


2014/11/22

会社を辞めてから8ヶ月

息子夫婦に自転車をもらってね。ちょこちょこと、早朝、カメラをリュックに入れて港まで。自転車の色は柿色。

柿色といえば、まったく話は変わるけれどもスバルのXVという車があって「定年になったら XV が欲しいな、柿色のやつ・・・いやオヤジが派手な柿色の車はちょっと不似合いか・・・ いや、やっぱり柿色だ・・そして四駆がいい」などと、ひとりで夢想しておったのではあるが・・・ そこへきて、柿色の自転車をもらった。
これはもう、XV は諦めよう。そう決意したのであった。同じ柿色ではないか、柿色であれば自転車で十分だ。「転」を「動」に入れ替えれば「自動車」になるではないか。「転」より「動」のほうが偉いわけでもない。タイヤが2本少ないだけ。
5段ミッションだし、燃費はとんでもなく良好で朝 コーヒーを飲むだけで走る。
ただし、私は図体が大きいほうなので、この小さな車輪の自転車はアンバランスかもしれない。まあ生活も性格も運動神経も目鼻の付き具合もアンバランスなので、私にとってアンバランスは特別に異質ではない。
息子は私の乗っている姿を見て「そんなにおかしくない」と言ってくれたので、そんなにおかしくないのだろう。「そんなに・・」というのが少々気にかかるが。

さてカメラ。カメラはNIKONのデジタル一眼。コンパクトなデジカメやケイタイ電話内蔵カメラが高性能なので一眼を使う人はとても少ないみたい。一眼を使うのは、なんか腕の立つ写真マニアのように見られてるんじゃないかと こっ恥ずかしい。私は全くもって腕は立たない(ちなみに腕立て伏せも2回しかできない)。
11月。朝6時過ぎにならないと明るくならない。日が昇るのを待つ。私の住んでいる町から見た大阪湾。とある港で撮った一枚。昔からこんなに鳥がいっぱいいたかなあ、と毎度思う。

2014/08/18

HONDA HR-V

HONDA HR-VホンダのHRVに乗ってます。
1ヶ月ほど前から、ハンドルを切ると「ボワーン」というか「グワーン」というか唸るような低い音がして、車体全体が共鳴してるような感じ。ゆっくりゆっくり走ってて大きくカーブを切る時・・・車庫に入れる時なんかに「ボワーン」「ブワーン」と鳴る。
それと、左のヘッドランプが点灯しない。ヘッドランプが点かないのは2ヶ月ほど経つが、息子に注意されつつ怠慢でそのまま乗ってた。
怠慢な性格ではあるものの、やっぱり気持ちが悪い。同級生が自動車整備をやっているので診てもらう。

ランプは交換すればいい。
問題はハンドルを切ったときの「ボワーン」という音。パワーステアリングの機構部分からの音だろうとは想像がつくので前もって電話で連絡をしておいた。

ボンネットを開けて、整備屋の同級生曰く「(パワステ用の)オイルは漏れていないので大丈夫」「これを替えればいいんだけど」とのこと。
「これ」というのは、パワステ用オイルの容器からゴムホースで繋がってる握りこぶしくらいのユニット(私にはそのダイキャストのケースの中身が何をする装置なのか分からないがステアリング機構一部分のよう)。「音はしても大丈夫、交換したら2万円ぐらい」とのことだったのでそのままにすることにした。

ヘッドライトの「球」を新品に交換した。エンジンオイルとオイルエレメントを交換した。
その車に乗って帰宅。車庫に入れる時「ボワーン」と音がした。


2014/07/20

会社をやめてから4ヶ月たった

大阪湾 カモメ 朝日
大阪湾 朝日とカモメ
会社をやめて4ヶ月。
暇になって困るだろうという世間のウワサ・・・確かに少しばかり不安ではあった。今のところ、やりたいことはまだまだいっぱいあるので暇な事はない。時間が足りないくらい。昼寝も含めて睡眠時間が1.5倍になったかもしれないけど。毎日毎日好きなことばかりやっててほんのちょっぴり家内には申し訳ないと・・・それこそほんのちょっぴり・・・思うところはある。ミクロン単位で目視できないくらいほんのちょっぴり度。

薄暗い中、カメラを持って出かける。
鳥は早起きだ。海岸近くには、ツバメ、スズメ、カラス、トビ、が飛び回っている。ツバメは波打ち際あたりをビュンビュンと飛び回っているけど、あんなところに餌になる虫がいるのかね。アオサギはパーソナル・スペースを確保してか一定間隔で並んでる。こいつは飛び回らないが、私が近づくと もっさりと長い翼を広げて数十メートルだけ遠くに逃げる。

上の写真は、早朝にA市から撮った大阪湾の日の出。
鳥が太陽の近くに飛んでくるまで待って撮影。私はカモメとウミネコの違いが分からない。ましてや「何とかカモメ」とかいう種類なんぞ見分けることができないので、この写真の鳥は単に「カモメ」としておこう。

カモメのジョナサン・・・
この写真を掲載するにあたって、あらためて眺めていて、ふと Web紹介されていた「カモメのジョナサン 完成版」のことを思い出した。
昔むかし、「(元祖)カモメのジョナサン」を読んだ。当時超大ヒットした本 ・・・ 調べてみると40年前(1974年)だと ・・・内容は覚えていないが「面白くはなかった」という印象だけが残っている。ページ数・文字数が少なくて、1時間か2時間で読み終えてしまう。おそらく、普段読書好きではない人が「おしゃれ」で読むので大ヒットしたのだろう。普段 本をよまない人が宣伝にのって「手軽な本」を買い始めると大ヒットになる。よくあるパターンである。違うかな。
今回の「カモメのジョナサン 完成版」というタイトルの付け方もうまい。私と同じような年代のオッサンが、若い人たちに「苦悩するジョナサン・リビングストン」の薀蓄をたれ、説法もどきを始めることも想定しているに違いない。
当時「この本が面白くなかった」というのは偏見で言い過ぎかもしれない。
面白い面白くないは読者の感性によるもの。本の内容が寓話っぽいこともあり、その解釈を自分で作り上げることができる。その解釈がとても勇気づけられる内容であると解釈すれば、読者は勇気づけられるのだよね。もしくは「プロの解説」に自分の意思が傾いてしまうという意志薄弱なところが読者にはあるので、名著なのかそうでもないかは、宣伝効果から受ける印象に大きく影響してしまう。読者は自分で判断しない・・・はちょっと言い過ぎか。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」を「よく分からん」「奥が深い」の意見があるのと同じだろう。いくらでもけなすことができるし、いくらでも褒めることもできる。「よく分からんし面白くない」という人は 奥深く読み取った解釈を作り上げた人に馬鹿にされる。

かもめはかもめ
さてと、いろいろな考えを総まとめにするなどという文章能力は私には無いので、思いついた事柄だけを挙げると、
・・・ 青空を渡るよりも 見たい夢はあるけれど
かもめは かもめ ひとりで空を ゆくのがお似合い・・・
中島みゆき さんは、1975年にポピュラーソング・コンテストでグランプリ受賞。
実は私も同じころ、一緒にやっていた音楽仲間と一緒にポプコンに出場したことがあり、ある特別賞をいただいた(特別賞の内容は非公開)。私単独でも一回出場、2曲がノミネートされた・・・と、少しだけ自慢。とはいうものの県大会だったので、グランプリとはレベルが違うのだけどね。

高卒で会社勤めを始めたころ読んだジョナサン、定年になってもう一度ジョナサンを読んでみるのもいいかもしれない。
http://asihuret.blogspot.jp/
かもめは かもめ ひとりで海を ゆくのがお似合い・・・

2014/07/16

関西電気保安協会の....

関西電気保安協会のテレビCM。 「♪ かんさい でんき ほーあん きょーかい」と、おっちゃんが歌うやつ。
例えば、単純なピアノ・アレンジでこんなのはどうだろう。単純といえどコード進行は、かなりミュージシャンしてる・・・・かも。

関西電気保安協会
あなたが、普段 楽譜を使わないポップス人間なら
Am / Fmaj7 | Esus4 / E
のコードシンボルだけで適当に弾けるはずだ。
ねっとりと比較的ゆっくりと「♪ かんさい でんき ほーあん きょーかい」と歌うと、新世代のフィーリングを感じ取ることができるであろう。

2014/06/15

大阪湾 朝

大阪湾 朝
♪ 朝の4時ごろ弁当箱さげて 家を出て行くおやじの姿
 靴下ボロボロ 地下足袋はいて ・・・・
これを学校唱歌の「スキー」のメロディで歌う。だれの作詞?かよく分からんが、小学校の時ふざけて歌ってた替え歌。
そして、60歳になって、朝の4時頃ブラっと散歩。体重増えすぎ。ハラ出過ぎ。アゴたるみすぎ。
することは(したいことは)いっぱいあって、暇を持て余すということはないが、インドア派であるので不健康な毎日である。
というわけで、この数日は早朝散歩。一眼レフがあるのでそれをカバンにつめて出かける。写真は5月14日(土曜)朝5時頃の大阪湾。「海から登る太陽 町を山を照らす ほのかに熱い息吹が胸の中に聴こえる 私達が故郷と呼べるただひとつの町 ・・・・」からの撮影。
望遠レンズは持っていたのだけれど、今まで使ったことはなかった。この日初めての使用。晴れていれば大阪、和歌山の陸地がみえるのだけれど、この日は曇っていたため、5時頃でなければ太陽は顔をださなかった。釣り人のかた、無断撮影失礼。

ちなみに、冒頭の歌詞『・・・ 地下足袋はいて ・・・』の続きは、
『♪・・・・ 帽子は底抜け 頭は100ワット!』
である。この作詞のオリジナリティには脱帽である。
私の頭も剥げている(らしい)が、後頭部ハゲであるため自分ではよく分からない。鏡を見る限りはちゃんと毛がある。自覚症状なし。

2014/06/04

歌詞

歌詞は大事である。
日本の流行歌を、無理やり大別するとふたつの系列になる。

「さだまさし」や「松任谷由美」の最初から最後まで一貫して場面が分かる歌詞。この二人は日本のシンガーソングライターの中では天才であろう。さだまさしにいたっては、ほんの10分間の人間の表情からひとつの小説のように描き上げてしまう。
樹木で例えるなら、初めに幹があり、その木は何の木であるかわかっている。そして、その木を中心として葉や花や実を詞に置き換えている。私見ながら、商業歌手としてこの2人は現在日本を代表する方だろう。3人なら、中島みゆきも入るな。

もう一つは、桑田佳祐や、スピッツの歌。これはチリジリバラバラの言葉を集めた歌詞。これはこれでいい。そもそも、英語なんて分からない者が外国の歌を気に入っているのと同じで、ここちよい言葉が集められているだけで、メロディに載せると、なんかしらいい雰囲気になる。ただし、歌詞を文字として読んでいくとなんか訳が分からない。
樹木で例えるなら、最初に色んな花や実の美味しいどころを言葉にしているけど幹がない。その木は何なのかは俳句の心でつかみ捕りなさい、いった感じ。これはこれでいい。わけが分からなくても楽曲の中ではフィーリングで溶けこんでいるのでね。

さてさて、今、ちょっとしたはずみでクリックしたら、ハナミズキという歌が流れてきた。映像と共に楽曲が流れ、歌詞も一緒に出てきた。
んん、よく分からない。初めて聴くのじゃなくて「・・・百年つづきますように」というところは記憶にはある。これは、さだまさし・松任谷由美なりのフリをしているのだけどチリジリバラバラになっている。驚いた。いやいや、実際に驚いた。フィーリングで受け取らず、しっかりと日本語を噛みしめるべき楽曲であるのだろうと思っていたけど、ふたつの系列のどちらにも当たらない、新しい手法の歌詞作りか。詞に潜むココロに深入れずに、感覚的な私見はよくないかもしれないけど、なんだこれと思ってしまったのは事実。
桑田佳祐や、スピッツの歌は単語単語でチリジリバラバラであるのだけど、このハナミズキは少し長いフレーズでチリジリバラバラ・・・違うかな。
樹木で例えるなら、幹になる木はどれだか分からず、見たこともない木に、普段私達がしっている松や桜の枝が突き刺さっているいう感じ。


2014/05/19

会社をやめてから2ヶ月経った

会社をやめてから2ヶ月たった。
昼と夜が逆転している。昼間は寝ていて、夜はPCに向う。日が変わって夜中の1時半ごろ新聞配達のバイクがやってくる。朝の4時20分、スズメが鳴き出す。

夜中に何をしてるかというと白黒画像の楽器のイラストを描き続けている。


2014/04/30

会社をやめてから1ヶ月経った

若いころから定年が楽しみだと密かに思ってた。
やりたいことは中途半端ながらいっぱいある。麻雀もパチンコもやらないし、野球のこともよく分からない。スポーツ新聞で話題になるようなもろもろ記事にあまり興味がないのだろうね。人とあっても世間話しはできない。一人でこっそりと好きなことをやる。でも、いわゆるオタクではないと自分自身では思うのだがどうだろう。60歳を超えたオタクってのは、どうも気持ちが悪い。でもまあ、イン・ドア派であるのはたしかだろう。
自動車のデザインに興味をもったり、作曲ばかりしていたり、コンピュータプログラミングをやり始めたり・・・色々。
で、やりたいことの一つとして、現在は「楽器のイラスト」を描き続けている。それがいったい何になるのか、さあ、何になるのだろう。
私のWebページでは、Googleの AdSense で、ほんの少しの小遣いは手に入っている。とんでもなくほんの少しですけど。
ちゃんと働く意思は・・・・その意思は有ることにしておく。好きなことばかりして遊んで暮らしているのもよくないと脳みその片隅では思ってるのでね。

あれやこれやと、馬鹿オヤジながら考えるところはあるのだけれど、それはさておき定年後、この1ヶ月間に描いたイラストの一部を紹介しましょう。

楽器のイラスト
インドネシアのCekuntrung
Cekuntrung という東南アジア(インドネシアあたり)の楽器だ。
円形の音響ボディの表面に独自のデザインが施されている弦楽器。日本ではほとんど馴染みのない楽器らしく日本語カタカナ名が見当たらない、"Cekuntrung" でWeb検索すると何種類かのデザインが目についた。小さな写真だったりするのだけれど、それを参考にしながら、グラフィックソフトで線を引いていて色を塗って仕上げた。2日半ほかけて描いたかな。会社勤めをしている状態では、こんな気楽なことはできない。

一旦、音響ボディのデザイン部分を下のごとく円形正面として描いていく。その後、変形させて、楽器全体の画像に合体させるわけだ。
楽器のイラスト
ボディ文様の元絵 線と塗りつぶしで描いていく
私家版楽器事典として、公開しているので、よかったらのぞいて見てください。

2014/02/08

ゴースト ライター

ゴースト・ライター ・・・ そんなに驚くことはない

「交響曲第1番 HIROSHIMA」はゴーストライターが書いた作品だと。 朝の通勤時、車のラジオで初めてきいた。驚くことはない。世の中には書籍であっても楽曲であってもゴーストライターはいくらでもいるだろう。 どちらかというと、「それもいいじゃない」というのが私の意見。
下請けというのは世の中に無数に存在しているのであって、下請けという仕組みが無いモノづくりなんて考えられないし、ありえない。 あの名車 TOYOTA-2000GT が、ほとんどヤマハで作られているにもかかわらずTOYOTAブランドで売り出し、トヨタ自動車の技術イメージをアップさせた、といっても、別に法に抵触するわけでもない。 アップルの製品が中国製でも、いいじゃない(ちょっと話が飛躍しすぎたね)。
ただ、今回の楽曲に関するゴースト・ライター騒動は、ゴロゴロしている下請負けの組織とはちょっと違う。
「人の心の 柔らかい場所を 今でもしめつける」という唄があったけど、そんな「人のメンタルな部分」につけこんだいやらしい商売であること。
なぜ18年間も気付かなかったのかが不思議でならないこと。
本物と偽物の区別がつかなかったのかなあということ。

私は、芸能や音楽販売のような業界にいるわけではない。音楽については若干の知識はあるものの、本気で音楽をやっている方の知識や技量とは雲泥の差で、比べるのも恥ずかしい。 でもね、「これはおかしい」というくらいは分かる。
例えば、和音の知識がない人が作曲している曲。その曲が「C-Am-F-G7 C-Am-F/G7-C」とかの教科書通りで小節ごとにうまく編曲されていたりする。 一例なので1960年代にはやった単純なコード進行を例に挙げたけど、このように整然とコードが組み込まれるのは通常ありえない。和音の知識のある人でなければ作れない楽曲である。
また、シンガーソングライターとして彗星のごとく現れた唄の抜群に上手い女性歌手。私は日本にもこんな素晴らしい人が出てきたと関心した。 しばらくしてテレビで見たんだけど、鼻歌で作曲しているという。なおさら「すげえ」と思った。 なのに、何年か後の楽曲は「こんなもの商売として売ってはならない」と思うほど情けない曲を同一人物が歌っていた。ラジオで聴いた。それでも売れているという。どういうこと。
視聴者は曲を買っているのではなく、歌手の偶像とかブランドを慣性の法則みたいに買っているのかな。 ゴーストライターとの契約がきれて、今度はホントにソングライターとして曲を作ってみた・・・とんでもなく個性的な曲(褒め言葉ではない)であるが商品化してみるか、編曲を駆使すれば売れるだろう・・・。 てな具合か。なにせ個性的なもんだから。
これを若者はいい曲としてもっと聴きたいと思っているのだろうか・・・どうも、そうみたい。しっかりせいよ。 と、いうのは、私個人の感想からきているので、そのあたりはよろしくです。 ただ、「こんなもの商売として売ってはならないと思うほど情けない曲」を何曲か聴いてしまったのは事実である。もちろんこれも私の感覚での話であるが。

作曲の話を少ししましょう

(まずはポピュラー音楽の話になってしまうのですが)
和音を知らずして現代音楽の作曲はできない。和音の知識やその使い方は和音の出る楽器(例えばピアノやギター)を習得しなければムリだろう。 楽器が弾けないと、和音を知らないとメロディ作りはできない・・・といっているのではない。和音を知らなくてもメロディは作れる。伝統的な子守唄やわらべ唄は和音なしだものね。
ただし、現代のポピュラー音楽の楽曲は、まずコード(和音)ありきである。 作曲をしたことのない方は「作曲とはメロディを作る作業だ」と思っているでしょうが、そうではない。 多くの人は(ほとんどの人は)「和音」という言葉は知っていても和音とはなにかを、そして和音の移動のしかたを知らない。 和音の進行が気持よかったら、その和音にメロディを載せると、ある程度気持ち良い楽曲が出来上がる。少し短絡した表現ではあるし、ある程度センスがなければ無理なのだけど、これは事実である。 和音を知らずして現代音楽の作曲はできない。
古い曲で申し訳ないですがポールアンカの「ダイアナ」。このメロディを単音で弾いてごらんなさい。 なんじゃこれ。これって作曲って呼べるの? 斬新なメロディのアイデアはどこにもない。 それでも楽曲として完成されているのは「和音」のなせる技である。
もう一つ、趣向の違うところで ”♪見上げてごらん 夜の星を・・・”という曲。この曲のコードの流れはさすがで、ただの音楽好きの御仁には到底真似はできない。 この曲だって、メロディだけを単体で弾いてごらんなさい。やっぱり大したアイデアが含まれている旋律ではない。 コード進行の複数の音を伝うようにメロディが織り込まれているわけだ。「いずみたく」のこの楽曲、メロディだけを捉まえるなら、こんなのはドブにいくらでも落ちている。 コードと一体に曲作りがされているから名曲なのである。 コード進行とメロディは、作曲家の技なのだ。

レベルが違う・・・数分間を切り売りしている商業音楽とはワケが違う

以上は、ポピュラー音楽のことを書いているが、クラシック音楽となると、桁外れにこれらの高い技量が必要となる。数分間を切り売りしている商業音楽とはワケが違う。 作曲家は、複数の楽器が鳴っている状態を脳みその中で再現できる。金管と弦の調和までもが実音なしで身体の中に響かせることができるのだ。
今回の騒動となっている、現代のベートーベンとか呼ばれているニセ作曲家はどうなのだろう。一日一緒にいれば、こんな能力があるかどうかは分かるんだと思うんだけど。 耳が聴こえなかったのか、聴こえていたのかは、私の知るところではないにしても、音楽について何らかのコミュニケーションをしていれば作曲技量のホントとウソは見破れると思うんだけどね。

耳が不自由であったこと、楽譜が書けなかったことについて

耳が聴こえなかったとしましょう。(目も耳も健全な私がいろいろと分かったような薀蓄を書くのは遠慮すべきところですが、今回ご容赦願います)
耳が不自由で外からの音が全く途絶えたとしても作曲はできる。 なぜなら、前述の通り、真の作曲家は、紙面に書かれた膨大な音符を目で読み取るだけで身体内に鳴り響かせることができるのだから。 一般人には想像もできない能力を持っている。それが交響曲レベルの楽曲を扱う人の特殊能力である。この能力がなければシンフォニーを組合上げることはできない。
今回話題のニセ作曲家は「絶対音感をたよりに作曲を続けていた」とある。
これもおかしい。作曲に絶対音感は必要ない。 絶対音感があればさぞかし便利だろうけど、絶対音感をたよりにしなくてもいい。相対音感で十分である。相対音感がないというのは俗にいう音痴である。 まさか音楽家としてドレミファソラシドの配分が分からないなんてありえない。 つまり、音楽家は実音がなくても、音楽を自分自身に聞かせることができる。 ピアノの鍵盤を見つめて、この音とこの音が同時に鳴るとこんな感じになる、と分かる。これは耳が聴こえていたころの能力であって、この能力は必要である。でも絶対音感である必要はない。 頭の中でえがいた音程と実音とが半音ずれようが4分の3ずれようが構わない。音のない世界にいるのであれば、体の中で鳴り響いているAの音が実音より10ヘルツ高くても問題ない。 物理的な空気振動がなくても音を把握できる・・・この能力は必要だ。繰り返すが、音楽家であるならばすべての人はこの能力を持っている。 あえて言うなら相対的な音程で把握できること。これで十分である。だから絶対音感をたよりに作曲をするのもひとつの方法でしょうが、絶対音感がなければ曲作りができないことはない。

次に、楽譜が書けなかったとしましょう。
これは問題です。ポピュラー音楽やジャズなんかは楽譜なんて必要ない。紙に書いたものが必要であるとするならば、コードネームのら羅列だけでいい。 さらには、ここはブレイクしようねという印を付けておく・・・そんな感じで十分。

でもね、交響曲となると楽譜がなければ話にならない。演奏家は西洋音楽のオタマジャクシをたよりに演奏することは約束事であり、その教育を受けて、その通りに脳みそが理解し出力装置である手や脚が動くのである。 シーケンサーやコンピュータで多重録音はできるが、ナマの人間に演奏を託すにはスコアに表現しなければ楽曲にならない。 楽曲のデジタル情報を転送するためにコンピュータから演奏家のお尻にプラグを差し込んでも無理である。演奏家は「あへ!」とか言ってもだえるだけである。
作曲家としての能力があるなら耳が聴こえなくても楽譜は書ける(もちろん先天的な障害ではなく、音楽理論を把握した後の障害であった場合)。
実音を聴けないのは、とても歯がゆく辛いことだろうけど、楽曲の編成は頭の中で組み立てられる・・・(と、偉そうなことを書いてしまっていることを自覚しつつ次に書き進む)。
楽譜は楽譜書きを清書する専門家(写譜屋さんというのでしたっけ)がいるので、その人達に任せるのは通例。それが通例にしても、何を見て、何を聴いて楽譜書き専門の人が楽譜を書いたのだろう。不思議である。 NHKの取材スタッフは、このあたりを読み取れなかったのだな。

聴く人達のいいかげんさ

ビートルズの「Norwegian Wood」という曲をご存知だろうか。「ノルウェイの森」と和訳されている。 英語が分からない私には「・・・Norwegian Wood」の部分しか歌詞を聞き取れないので「ノルウェイの森の中」を歌っている唄だと思っていた。 曲の雰囲気も「森の中」を連想させた。歌詞の内容は省略するがまったくもって違うことに日本語訳を読んでわかった。
私の感覚は全くもっていい加減である。
そう、音曲に対する人の感覚はデタラメである。私が特に際立ってデタラメなのかもしれないけどね。
話題の曲は当初は「交響曲第1番 現代典礼」という作品名で制作しており、世に出す時に「HIROSIMA」と名づけたようだ。
さあさあ、「原爆投下後の20分間の広島を表現した」とインプットされると、その気になって聴く。 そんなもんだ、人の感覚とは。
まさかテレビでやってる「笑点」のテーマソングの ♪ツンタラ ツタラタ ツンツンツン パフ! が「原爆投下後の20分間の広島を表現した」とコメントされたら、それはちゃうやろ、というくらいは判断がつく。 でもオーケストラの重圧なハーモニーと、柔らかく、また激しく流れるメロディ、ティンパニやシンバルのアクセントは、 「恋の苦しみを表現しているのだ」「生きている喜びを音にした」「夕日が沈む時間の流れをメロディにした」「雑踏の中の孤独を内面から表した」「空を飛ぶ鳥の様をバイオリンの弦に委ねた」 「太陽の恵みの色光ハーモニーが音のハーモニーとして私に降り注いだのだ」 ・・・・・とかなんとかで、何にでも置き換わる。置き換わっても、「なるほどなるほど」と思ってしまう。
楽曲のイメージのとらまえ方は、季節や体調や経験や外部からの刷り込みにより、本物は何かの答えはない。
でも、人物の本物と偽物が分からないのは不思議である。

まがい物ブランド

消費者は絵画や楽曲の良い悪いは自分で判断できない。これは良いと言ってくれないと良いと思わない。 世界中にいる優れた芸術家は、商業ベースに乗らなくては、そして組織だって運営できなければいくら優れていても陽の目を見ない。 お笑いの芸能人が、映画監督をやる。映画作りに必死に取り組んでいる埋もれた才能はうもれたまま。商業べースにのるブランド人の名のもとに映画を作る。
下請けは、世の常である。否定はしないし、これがあるから経済が回っている。でもね、行き過ぎるのは・・・人間のメンタルな部分にウソを注入して商売する・・・これはつらいですね。

2013/12/20

定年

60歳。定年である。
なにか不思議な感じ・・・。定年て、ほんとうにやってくるんだ。まあ、あとしばらくは会社勤めをするんだけど。


2013/10/06

息子のタイムマシン(短編小説)

(前編)
息子のやろう、またタイムマシンを買ってきやがった。
だいたいこの数年の間、おもちゃのメーカーがタイムマシンを売り出すようになってから小遣いはほとんどそれに使ってる。これで、もう3台目だろうが。
そういえば、父さんがタイムマシンの免許をとったのは20歳過ぎだったかなあ。あのころはマシンも高くて中古を買った。 中古といってもボーナスでやっと半分支払っただけだもんな。
いやもう、とんでもない時代になったものだ。あいつが中学に入学する時に、どうしても欲しい、友達はみんな持ってるとかでしかたなく買ってやったもんだ。 それがなんだ、高校生になってアルバイトを始めたのはいいけど、その金をみんなタイムマシンに使ってしまうとはな。
おもちゃメーカーが販売してるといったって、最近のマシンは腰をぬかすくらい高性能だ。もともと過去行き10年、未来行き10年という制約がついてる。 それだからこそ免許がいらない。それなのに、どこかのメーカーがタイムアクセラレータとかいう名前で100年のタイムトラベルが可能なオプションを作った。 そいつを取り付けるとスッ飛びマシンになる。よく分からんが、こんなオプションは法律にひっかかるんじゃないのか。
しかしまいった。父さんが旅行の時に使う4人乗りのマシンは50年しかいけないのに。しかも加速がわるい。父さんも新しいのが欲しいよ。
あ、そうそう。息子のもってるマシンは一人乗りなのに、彼女かなんか知らんが時々二人でトラベルしたりしよる。ばかもんが。色気付きやがって。 また、検問で捕まるぞ。反則金を払うのに母さんから金をもらってるのを父さんはちゃんと見てたぞ。
おいこら、どこへ行く。や、またトラベルか。もう夜も遅いのに、宿題はしたんか。え、こら。
行ってしもた。 また彼女とデートか。2098年へ行くんだろ。どうも2098年の8月3日には高校生のタイムトラベラーが集まる広場があるらしい。週刊誌で読んだことがある。 不良が集まってるんじゃないのか。そこで宿題をするだと。
あほらしい。嘘をつくならもっとマシな嘘をつけ。それより彼女とはどんな関係なんだろうか。あんな事したり、こんな事したり。いやんもうばか。あはは。
あっ。母さん、今の聞いてた? そう。失礼しました。
おれは若者の性について真剣に考えてるんだ。
エッチもいいけど妊娠したらどうするんだ。子供を生むときは現在で産めよ。とか言ったって息子が産むわけじゃないんだから、今度彼女に会ったらちゃんと言い聞かせとかないとな。 タイムトラベルしてる最中に赤ん坊を産んだら手続きがとんでもなくやっかいだからな。だいいち赤ん坊の年がマイナス15歳とかになったらどうする。5歳で成人式に行くのか。
まだマイナスならいい。過去で出産したら生まれてすぐに70歳てな具合になるぞ。その赤ん坊が女の子だったとしましょいな。 それでまた器量好しの別嬪さんになったとしましょいな。ね。 いくら別嬪さんでも、いわゆる年頃になって95歳の女と結婚してくれる男がいるか。えぇ、そうだろ。
だから、おもちゃのタイムマシンは青少年を破滅に向かわせる機械なんだ。
おれも、なかなかいいこと言うだろう。な、母さん。おい、母さん。
あっ。
なんや、寝てるんか。
(後編へ続く)


2013/09/13

コウモリ

会社から帰ってきて部屋にはいったらコウモリが飛んでいた。
私の部屋は長方形であるが、その長辺を行ったり来たりしてる。まったく音はしない。黒くてひらひらと頭の上を飛び交っている。
年に一度ほどこんなことがある。
アブラコウモリ。たぶんそんな名のコウモリ。民家を棲家にしているらしい。


2013/07/14

Evert Taube

Evert Taube / Swedish musician
Evert Taube (1890-1976)

Evert Taube was a Swedish author, artist, and singer.
He is widely regarded as one of Sweden's most respected musicians and the foremost troubadour of the Swedish ballad tradition in the 20th century.
(Wikipedia より)

スウェーデンでは、とても有名な1900年代のミュージシャン。シンガーでありソングライターでもあった。共鳴用の開放弦を持つリュートを伴奏に歌う。

2013/04/04

ランドセルのさっちゃん

春である。明石公園に桜。

桜と言えば、私の数ある名曲(?)の中でも「ランドセルのさっちゃん」という唄がある。

ランドセルのさっちゃんが笑った
とてもゆかいな 一日がはじまる春の日
朝の光が 大空を横切り
この町に おはようの さわやか 風が吹く
 君のかあさんが 君が出かける姿を
 写真におさめた カメラに撮った
 そして来年も
 再来年も その次の年も その次も
 桜の花が咲くたびに
 君のかあさんは その写真を見るんだ。
(以下省略)
自画自賛。名曲である。
この歌は、私が出勤時に、女の子が体からはみ出すほどの赤いランドセルを背負って学校へ出かけるのを見かけたのがきっかけで作った唄。その子が「さっちゃん」かどうか分からないけど、勝手に私が「さっちゃん」にした。
楽器を使わず、歌詞も紙に書かず。頭の中だけで、歩きながら作った唄。

2013/02/17

沖縄の三板

カリナ・トロンボーン と 三板(さんば)
オカリナ・トロンボーン と 三板(さんば)
沖縄でみやげを買ってきた。
おみやげ屋の裏の露店で、竹ボウキを笛にして(もしくは竹笛にホウキをつけて)、客寄せパフォーマンスとしてお兄さんが演奏していたので、話しかけると自慢話とか薀蓄を語られそうなので「はい、これとこれ」という即決で買った。
竹で作られた笛は「オカリナトロンボーン」とか怪しげな名前が付いている。どこかのメーカーの商品名だろう。水鉄砲みたいな構造になっていて筒の長さが変わることによって音程も変わるという、よくあるオモチャ。

3枚の板が組みになっているのは、三板(さんば)といって沖縄のいわばカスタネットのような打楽器。店のお兄さんが琉球松でできていると力説していたけど琉球松が三板に適しているのかどうかよくわからない。3,500円だったと思う。
 帰ってからインターネット販売で検索してみると、黒檀で2,500円だった。琉球松でできたものは1,980円也。まあそういうこともある。

出かける時、家内に「三線があったら みやげに買ってくる」と言ったら「おとうさんの持ってるお金で足らへんわ!」てな会話。
さすがに みやげ店では三線は売ってなかったけど。

2013/02/10

にふぇーでーびる

沖縄 三線の横山太陽さんと、太鼓の上地春奈さん
会社の旅行で沖縄へつれていってもらって、あちこちで沖縄の生音楽を聴くことができた。
以前どこかで太鼓を打つ間のとり方が絶妙であると書いたことがあるが、西洋音楽の単調なリズム・・・1拍めに低音、2拍め・4拍めに高音というリズム打ちになれているので、とても新鮮である。
エイサー太鼓や締太鼓(沖縄での名称ではないかもしれないけれど)並べて叩く。低音と高音を打つタイミング。空白の拍子。西洋音楽でいうフィルイン。これらリズム打ちの音楽的法則があるのだろうか。私には発見できなかった。
国際通りにある店で。


2013/01/12

大根

大根である。
家内が「おとうさん 見て ほら!」と持ってきた。早速写真にとった。
3本脚の珍大根。「2本は大根やけど、1本は男根や」「真ん中の部分は◯注1に喰わせるか」などと、駄話。
ちなみに、こういう変な大根は、小石の多い土や固い土に育った場合に多く見られるらしい。
注1:◯◯は私の息子の名前。

2012/11/19

コントラバスのブリッジが折れた

コントラバスが落ちていく図
40年も前の事で恐縮。
高校の時、ギターやバンジョー、そしてウッドベース(コントラバス)などの楽器でアコースティクのバンドを組んでた。学校の舞台を借りて練習。一休みの合間には「どこそこのタコ焼はウマい」とか「マンドリンを女の子が使ったらマンコリンだ」とか、くだらん話をしていた(かもしれない)。
その時、事件が起こった。

学校からこっそりと借りていたウッドベースが、舞台の上からゆっくりとヘッドを支点にして弧を描くようにビヨーンと回転し始めた。 「あっああ・・ああぁぁ」とか、ひ弱な声がもれた。私は、スローモーションビデオのごとく倒れていく茶色の筐体を見ていた。ちょうど正面を向いた状態になりブリッジが床にガシャッと当たった。
ブリッジの足の部分が折れちゃった。
ウッドベースは横腹を下にして置いておくと安定するのでいつもそうしてる。ネックの部分が舞台の端っこから大部分はみ出していたのだろうけど、なぜ回り出したのかは不明(もしくは思い出せない)。 ニュートンがこれを見ていたら、新しい物理法則を発見していただろう。が、そこにアイザック・ニュートンはいるはずもなく「新万有引力」は発表されないままとなった。
ともかく、得体の知れぬ超物理現象によってウッドベースは大回転して床にころげ落ちた。そして、ブリッジは折れちゃいました。
壊れたのはブリッジだけ。もし、指板が折れていたら、それこそ大変。不幸中の幸いというところか。

さて、いくらチャランポランな若造であっても、借り物を壊れたままにしておくわけにわいかない。というより、練習ができないのは困るし、コンサートで使えない事のほうが重要だったのかもしれないけど。そこで、神戸の元町にある楽器屋さんでブリッジを買い求めた。
でもね、買ってきなのはいいけれど背が高い。おそらく、どんな楽器本体にでも合うように背を高くしてあって、各自加工し、調整して使うようになっているからなのだろう。 早速加工しようとした・・・・堅い。ブリッジは思いのほか堅い木で出来ている。テッペンの丸い部分を削る必要があるのけれどなかなか削れない。
そこで、近くの建具屋さんにお願いすることとなる。近くも近く、我が家から100mほどのところに窓枠や障子をつくる建具屋があった。 壊れたブリッジを見本に、削る位置まで鉛筆で線を書いて職人のおっちゃんに依頼。 「よっしゃ、よっしゃ」となかなか親切。施工料無料。
で、無事に、ウッドベースは修復されたというお話し。持ち主である高校にはナイショだ。ずっとナイショ。

2012/11/11

小指をキーボードの右端に

11月1日。「7のPC」が届いた。
半年ほど前からXPのPCが具合悪くてついに購入。「98」からはずっとDELLだ。今度もDELLにしたのは、別に大した意味もない。PCの性能なんてよく分からないし、古いPCよりは快適なんだろうということぐらいの知識しかない。ただインターフェイスがどんどん変わってしまうのが困ったもんだけど。
そういえば、世の中は次のOSである「8」がどうのと宣伝しまくりではあるけれども、長く使えて安全であればOSなんてあまり気にしない。

さて、新しい「7」だけれども、キーボードが今まで使っているのと違うので戸惑っている。
30年近くパソコンのキーボードを叩いているので、ほぼブラインドタッチで入力作業はできる。だけど、原価を抑えたような薄い作りの付属キーボードは今ひとつシックリこない。
PCを立ちあげて一番最初に使うデバイスはマウスだ。その次にキーボード。おそらく誰もがこの行動パターン。
マウスからキーボードに手を移動させる時に気づいたんだけど、私は、キーボードの右端面に右手小指をあててキー配列全体の配置を確かめていることが分かった。目は画面を見ている。実はこの動作に自分自身まったく気づいていなかった。
新しいキーボードは全体のサイズとキー配列の距離が違う。さらに厚みも違うので、距離感が掴めない。小指の感触、そこからどの位置にどのキーがあるかの距離を暗黙で測っていたことが判明し「へー、すごい」と、我ながら驚いた。
数字キーなら右手小指の感触と中指の「数字5」の小さな出っ張り(またはへっこみ)をまさぐってキー位置を確認する。文字キーは「F」と「J」に印がついているけど、あまり利用していない。左手の小指が勝手に「A」の位置にくる。これにも我ながら驚いた。右手小指の感触から左手小指の距離を計測していたなんて。
まあ、画面を見ながらでもキーボードは視野の中におおまかにでも入っているので、だいたいは目でも全体位置は検討つけているのだろうけどね。

さあどうしたものか
今までと同じタイプのキーボードを買うべきか、この(使っている)薄いキーボードに慣れるべきか。会社で使っているパソコンのキーボードと自宅で使っているキーボードとはまったく同じ仕様だったので、二種類のブラインドタッチ距離感を維持しなければならない(ちょっと大げさ)。さあどうしよう・・・・その答えは「風の中にある」てなことで、訳の分からないことを最後に書いてしまった。

2012/07/20

アンパサンド

蕎麦のアンパサンド
本職サラリーマンなもので、帰宅は夜の10時頃。晩飯を喰うのは11時、日が変わることもある。
そんなこんなで、晩飯時。家内が作ったじゃがいもを煮たのや、ピーナッツやらをアテにも缶ビールを3本飲む。いつものこと。
で、そんなことはどうでもいいのだけれど、ビールを飲んだ後、ザルソバがあるというのでそれを喰う。このザルソバはザルに盛られていないので皿ソバか。

「おとうさん ちゃんと残さずに食べてよ」「あ、また残した」とほとんど毎日怒られる。米の飯であってもサラダであっても「残っている!」と怒られる。
今日は怒られないようにと、最後のソバの端くれをつまもうとした時。
その時だった。
「&」ではないか。アンパサンドではないか。ソバのアンパサンド。あまりにも整ったアンパサンド。
記念に写真に撮った。

2011/09/09

雑踏の中の孤独 神戸編

本職サラリーマンなもんで、神戸まで出張。

とはいうものの、神戸なんてのは私の会社から電車にのって20分もあればたどり着くのだけれどね。和田岬にある名高きM社への出張である。
仕事の話はともかく、帰り道に新長田駅近くにある「鉄人28号」を見てきた。その広場では28号ビヤガーデンだったか、鉄人ビヤガーデンだったかをやっていて。オジサンやオネエさんで超満杯だった。

夕方5時ごろ会社へ戻るかと、JR新長田から電車に乗ったのだけれど・・・まあ、なんでオバチャンがこんなに多いのだろう。乗っているのはほとんど女性。何か女性のためのイベントでもあったのかいな、と思いつつ、ふた駅。それにしても、あまりにも女性が多いではないか、と思いつつ、もうひと駅・・・・。あまりにも女・・・・あ、なんてこった。電車の中をよくよく見ると女性しかいない。男は私ひとり。やっちまった。
「雑踏の中の孤独」そのまんまや!
女性専用車両なんて、まったく気づかなかったもんだから。と、気づいてから、あとひと駅。このひと駅の時間、長かったこと。
家に帰って家内に話したら「気色わるー このじじい」と、一喝。
以上。

2011/07/26

カメラ


その昔・・・20歳を過ぎた頃だから・・・30数年前、ミノルタの一眼レフ(もちろん当時はフィルムカメラ)が愛機だった。部屋を真っ暗にして現像したり、風呂場で写真の水洗いをやったりで、いろいろと思い出のあるカメラ。
時代は変わりつつあり1995年にはカシオのQV-10。市販デジタルカメラの先駆けだ。早速買った。今思えばなんと貧弱なデジカメだったかと思うが、まあ適当に遊ばせてもらった。それから、なんと10万円近くもしたエプソンのCP-800。これは電池がすぐになくなるのでほとんど使い物にならずで、家内がだれかにあげた。もらった方も使い物にならないので困ったかもしれない。
次に、息子にもらったオリンパスのC-2とかうやつ。レンズの蓋を開けるとレンズの筒がジュイーと音を立てて出てくるやつ。プラモデルの撮影につかったな。

で、きのう、カメラを買った。ニコンのデジタル一眼レフ。
私にはカメラの良し悪しなんてほとんど判らない。ただ、ブランドというのは大切だなと、世に出す商品は違うにせよ精密機器を製造している会社に務めているワタクシとしては、あらためて実感することとなった。なにせ、色んなメーカーのカメラが並んでいる店先で「やっぱりニコン」と決め込んでいる自分がいる。パナソニックやソニーのほうが素晴らしいカメラを作っているのかもしれない。でも、やっぱりカメラはカメラ屋でなけりゃと脳みそに書きこまれていて、それは簡単に消え去ることはない。
ブランド力は大切だ。バッグなんかのワケのわからない外国ブランドものを欲しがる女性に対して、なんて馬鹿野郎な人種だと普段言っている自分からしてそうなんだから。
でもね、ニコンよりキヤノンにするかと、少しだけ傾いたのは、ニコンのキャラクタが木村拓哉さんだったから。歳の60前のオヤジは、キムタクの宣伝するカメラは嫌だね、と、どこかで本能的に感じてる。もっと歳いったバリバリのカメラマンがキャラクタだったらニコンはもっと売れてるんじゃないだろうか。キムタクさんもブランドのひとつとして君臨しているのであって、60前のオヤジはニコンブランドのプラスと、キムタクブランドのマイナスがひしめき合っている(ちょっと大げさ)。
ニコンを買ったのはカメラのキタムラ。キムタクとキタムラは何か似ている。たまたま似てるだけで、それがどうしたと言われても、どうもしない。

2011/06/05

ゼファーズ / なかよし おのころ たこやき 楽団

ゼファーズ/なかよし おのころ たこやき バンド我がバカ息子が、隣の部屋でギターを弾いている音が聴こえてくるもんだから、「お前よりはオヤジの方がウマイぞ」と、知らしめてやる意気込みで久しぶりにギターを弾いてみた。左の指が痛い。指の先っちょがギター弾きの様に硬くなってないもんね(ちなみに、アコースティック・ギターならバカ息子より私のほうがうまい・・・絶対に!・・と、意気込んでみる)。


あんなこんなで昔の写真を眺めていたら一枚の写真。
中学2年生の時、『ゼファーズ』というアコースティックのバンドを結成。そのころはアコースティックなんて言葉は一般的ではなかったのでフォークグループとか言ってたな、たしか。他の同級生はローリングストーンズのジャンピング・ジャック・フラッシュなんかやってた。私たちのバンドはひたすら自作。4人とも作詞作曲をやって、名曲数々ありだ。
この写真は、たぶん20歳過ぎの撮影だと思うから。『ゼファーズ』から『なかよし・おのころ・たこ焼き・楽団』とバンド名を変えてたね。場所はS市の市民会館のようだ。
私はウッド・ベースを弾いてるけど「掴みベース」とか呼んで笑いの種にしてた押さえ方をしてる。左手のくすり指と小指のポジションなんか構わず、ネックと弦をギュッと掴んでしまう弾き方。この頃のアマチュアベース弾きはほとんどが「掴みベース」だった。ギターなら、まあまあそこそこ弾けるけど、バンジョー、バイオリン、フラットマンドリン、フルート・・・・はてはピアノまで人前で弾いたりしたから、我ながら恥知らずで度胸があったといえる。

2011/03/16

バグパイプ

本職サラリーマンなもんで、年に一度、私の部署の人達と旅行にいったりなんかもするんですな。
バグパイプ
飛騨高山へ行ったわけで、ぶらぶらと散歩してると「バグパイプ」という店があった。
私はカメラを持っていなかったので一緒に散歩してた一眼レフを持ってた若い社員に撮影してもらった。
「バグパイプ」のカンバンをメインで撮るようにお願いしたので全体像がよく分からないけどね。


2011/01/22

本名 エルデ10008823

誰の耳にも聞こえない 3万サイクル笛の音-----。

8823謎の人
8823海底人
正義の勇者だ
ハヤブサだ!!
30000ヘルツの音を聞き分ける海底人8823
2億年前、地球に大接近した彗星のために大陸が海の底に沈んでしまった。その住人の生き残りが海底人になったのだ。
「エルデ10008823」は、その海底人のひとり。ひょんなことから地上に出たのだけれども、地上ではちょっとぎこちなくて、勇という少年に助けてもらったという経緯がある。あんなこんなで色々あって、勇少年は海底人の本名10008823の8823だけを取って「ハヤブサ」と呼ぶようになった。
ハヤブサは助けてもらったお礼に3万サイクルという人間の耳には聞き取れない高い周波数の笛を勇に渡す。
「何か危機がせまったらこの笛を吹いて呼んでくれ、人間には音は聞こえないけど 私には聞こえるからね」
こうして「海底人8823」の物語は始まるのであった。

ヒトの聴力は、若い人で2万ヘルツくらいの高い周波数の音は聴き取れなくなる。通常は1万5,000ヘルツくらいから聴こえなくなるらしい。勇少年がハヤブサからもらった笛は30,000ヘルツなのでヒトには聴こえないわけだ。海底人はこんな高い周波数の音でもって水中でコミュニケーションをしていたのだ。
なぜ日本語が使いえるのか、なぜ水中でも陸上でも呼吸ができるのか・・・そんなことを考えてはいけない。なにせ8823は正義の勇者で謎の人なのだから。

ちなみに、ヘルツ(Hz)は、国際単位系(SI)における周波数・振動数の単位で、ドイツの物理学者ハインリヒ・ヘルツからとっている。現在ではサイクルという単位は使わないよね。

2010/11/28

弦の並びが対称になっているギター

弦が11本あって、それぞれ端っこに1弦が一本づつ。中央に向かって2弦、3弦となる。中心が最低音のE線だ。
左右対称なので「シンメトリック・ギター」とでも名付けましょうか。
左右対称に弦を張ってあるシンメトリック・ギターエレクトリックギターとかスチール弦のアコースティックギターでもいいんだけど、やはり楽曲を奏でる独奏楽器を想定して、ここはクラシックスタイルのガットギターにしてみた。
冗談で、グラフィックソフトを使って写真編集してみたんだけれども、これはこれでなかなか実用的ではないかと思う。ちょっとこの楽器の特徴を記載してみることにする。
  • 右利きの人、左利きの人、どちらもこのギターを使うことができる。
  • ギターを弾ける人は、特別な技量を習得する必要はない。
  • 11本あるので、共鳴弦としての役割をはたすので音に厚みが出る。
  • 旋律を弾く場合、2本の弦を同時に弾くことによりユニゾン奏法が可能。トレモロ演奏も味がある演奏になる。
  • 簡単なコードフォームであれば、6本以上の弦を使って和音を出すことが可能。
  • 市販のナイロン弦を使用することができる。もちろん全数張り替える時は2セット必要であって、第6弦が1本だけ余るんだけどね。
いかがだろう。
実は、すでに11弦ギターというのが存在しているけれども、これはリュートの古い楽曲を演奏するために作られたもので、少し小型で全体に高い音程になっているので一般のギターとは別物と考えたほうがいい。
この「シンメトリック・11弦ギター」は、通常のギターとまったく同じ技量で同じ弾き方ができる。ちょっと練習をすれば、多彩な奏法も可能なのだから、これはギターの歴史を変える画期的なアイデアではなかろうか・・・。いかがだろう。

2010/11/21

燕市

本職サラリーマンなもんで、新潟県の燕市へ出張。

大阪23時27分発の『寝台列車 急行 きたぐに』に乗って東三条まで。
東三条には、翌朝7時45分ごろ着。東三条駅のホームでウロウロしていた時、我社の鉄ちゃん課員から電話があって「弥彦線の発車までは後一時間ほどあるので東三条の駅を出て、どこか喫茶店かなんかで朝飯喰ったほうがいいですよ」と、バカ上司(私のこと)にアドバイス。アドバイスにしたがって東三条駅前に出たが喫茶店等なし。売店でパンと缶コーヒーにて朝食。
東三条からは弥彦線で燕へ。

燕駅に着。
Yahooの天気予報はあたらず。傘なしで雨が降る中、目的の会社を探す。民家風の家々が並んでいるので工業都市というイメージはまったくない。◯◯工業株式会社とか大きなカンバンがあって、大きな敷地にドカーンと建屋があるなら、そこを目がけていけばいいのだけど、街並みは民家である。人通りも少ない。印刷したGoogleの地図は雨にぬれてクシャクシャになった。目的の会社にはすぐ近くまで来ているはずなのだけど、迷子の迷子の子猫ちゃんになった。電話をかけると1分ほどのところです、とかで車でむかえに来てくれた(ちなみに私は方向音痴で場所音痴で地理音痴である)。

燕市は小さな工場集まった町で、洋食器生産では世界的なシェアをほこる。ステンレスの加工についてはこの町全体が高い技術を持つ集団となっている。プレス、熱処理、表面処理など専門の業種が集まっているが一社だけでは製品(商品)が完成しない。それら各専門メーカーを束ねる仕組みが必要である。燕市では、受注活動と生産管理を行い、出荷までの責任を負う会社が存在しているわけだ。
ステンレスの食器だけでは発展が難しいというわけで、最近ではファミリーレストラン/回転寿司などの食品を集中して調理生産している、いわゆるセントラルキッチンの設備なども請け負っており、さらに、産業用機器の部品も手がけている。
私は産業機器のメーカーの調達部門の一員であり、この出張は、とある社長に会って商談をまとめる仕事。要求する部品は「絞り加工」といって平べったいステンレスの板を立体的に整形する加工。相当に難しい技術が必要であり、燕市の技術でなければ安価で高品質なものはできないという判断があった。

私が面会した社長いわく「この町には1400社くらいのメーカーがあります」と。
一瞬その数字を疑っってしまったが、民家だと思って玄関の扉を開けると、そこは機械加工の工場だったりするらしい。
この工場で絞り加工をやりますというわけで、プレス加工をやっている企業へ案内したもらったけどそこの作業者は6人だけだった。「これでもこの町の中堅どころです」とのこと。プレスの仕事以外はやっていない。
小さな会社がこの町に集中してつながり合っている。燕市は町全体がひとつの企業になってるわけだ。

追記
帰りは東京経由で新幹線。

2010/11/06

The Beatles 1967-1970

ザ・ビートルズ本職サラリーマンなもんで、ちょこっと仕事で名古屋へ出張。昼飯食うのに地下街を歩いているとレコード店・・・とはいわないか、CD店というのかな、よく分からないけど、とにかくCDを売ってる店で目についたのが「The Beatles」

昔に買ったレコード(針を落として聴くやつ)も持ってるのだけれども、なんとなく買ってしまった。青版とかいうらしい「1967-1970」。

20年か30年かぶりに聴いてみた。あらためて、ビートルズはヘタだね。20世紀最大のポップミュージシャンであることは完璧に認めるし、ジョン・レノンもポール・マッカートニーも飛び抜けた才能を持っているし歌唱力も絶品。でも、案外と楽曲として奏でるのはへタッチだということは語られないね、なぜか。
当時の録音技術のせいもあるのだろうけど、録音を手がけた技術者もなんか素人っぽい。
有名どころの曲で言えば、たとえば『ヘイ・ジュード』。ドラムのフィルインはモッチャリしてて「一生懸命やったんだね えらいね」というくらいのレベルだし、スネアの音もタムの音もペタペタという感じの音で薄っぺらい。そして、ベースはジョージ・ハリスンが弾いているらしい。これは、ちょっとギターを弾けるようになった中学生が「お前いっぺんベース弾いてみいや」というわけで無理やりベースを弾かされた・・・というくらいの技量。いや、ジョージは意識してメチャ単純にボーン・ボーンと弾いているのかな。ギターの音も、そう、なんであんなギャンギャンと鳴るんだろう。もっと、スッキリ透明感のある音が出なけりゃボツでしょう。
とかなんとか、あれこれなんだけれども、こんな録音で超大ヒットしたんだな。

追記1:「人間が楽器を弾いている」というのが伝わってくるので、実はこんな録音がわりと好きだったりするんですね。
追記2:ビートルズはヘタだということは、Webではずいぶんと語られてるね。ちょっと安心した。

2010/08/28

設計図も無しに勝手にできあがった

この宇宙に文明をもった生物は地球人以外にいないであろう。
なにも科学的に云々という難しい理屈でいっているのではなくて、ただそう思うのですよ。だって、奇跡の地球というけれど、地球の存在は奇跡すぎる奇跡であって、その奇跡すぎる奇跡が何重にも起こっているというこの奇跡。
さらに、現在を生きている生物が生物として存在し、子孫を残していく仕組みの複雑さ・・言い換えればうまく出来上がりすぎの生物の体。これも奇跡。
なんで、子孫を残すことができる、こんな複雑な化学反応物体が勝手に出来上がるか。勝手に?・・そうそう勝手にだ。あたりまえだけど人工的にできたわけではない。
こんなもの他の地点で、宇宙がどんなに広かろうとも、この奇跡には勝てない。ただ、そう思うのですよ。

文明。そもそも生物が生きていくために文明なんて必要ない。脳みそが少し大きくなった猿は、地球の土の中や空中に存在する素材を使って道具をつくり始めた。
いったいこの原動力は何だったんだろう。しまいにゃ、宇宙が出来上がった時代がどうのというとんでもないことまで考え始めた。そして、この宇宙に文明を持った生物が存在するのかという域に達した。

もっと根本的に、この宇宙になぜ電気という物理現象があるの?なんで光は屈折するの? こんなことは物理学者はちゃんと答えをもっているのだけれど、私の「なんで」は物理的な理屈をきくこでではない。
電気という現象が存在しているから、その現象を説明できるのであって、もともと電気という現象がなかったら説明しようにもその存在がないのだから説明しようとする学者はどこにもいない。
もし、電気というものがなかったら17世紀か18世紀か分からないけど、そのころから文明は発達をやめている。光が屈折するという現象がなかったら、100万年たっても夜空に光る星は暗黒の空に開いた穴でしかない。
宇宙の誕生。銀河系の誕生。太陽系の誕生。地球の誕生。月の誕生。生物の誕生。人の誕生。文明の原動力。この宇宙に文明をもった生物がいるかどうかという確率。その計算の意味はなんだろう。
この宇宙の片隅に、人というソフトウェアとハードウェアを備えて自力で移動し、複製を生産できる物体が存在する。しかも設計図も無しに勝手にできあがった。ありえない。ありえないのにありえている。

2010/07/17

テレビは50年間、3原色でした

シャープのディスプレイ 色表現の技術なかなか大胆でインパクトのあるコマーシャルを流すS社である。


ほんの少し「色」について知識のある方なら、あれっと思うのであって、批判もしたくなるでしょう。現にネット上では「4原色という表現は違うだろう」との反論があちこちで書かれたりしている。
おそらく、企業としては少々の批判を受けるのは覚悟の上で、テレビCMに踏み切ったのだろうね。「テレビは50年間3原色でした。学校で習った、3原色の原理です。けれど、それは全ての色じゃなかった。4原色で、テレビが変わる」という、やりすぎギリギリのナレーションは企業競争に勝つためですな。

ただ「3原色は間違いで4原色だったのです」いう意味合いののことを、超有名女優が言うもんだから、それをそのまま科学的原理の修正として信じてしまう人がいるんだろうなと思うと少し心配になる。
RGBがもともと光の3原色で、Y(イエロー)を追加して4原色という無理やり表現になっている。一方では、紙などに印刷する場合はCMY+Kという色の要素もあるので、よけいにワケの分からない状態にしつつあるようでもある。

最後に、いくらなんでも、これはオカシイよ、というのをひとつ挙げておくことにしよう。
RGBでの表示とRGB+Yでの表示が、どの様に違うか。RGB+Yのほうが美しいのですよというのを、載せているWebページがあった。
2枚の画像(写真)を左右にならべて 「この違いを見よ!RGB+Yのほうが美しいだろう!」というわけ。金色に輝くサックスの写真だ。
これは変。何のこっちゃ。
私が、見ているディスプレはRGBなのにRGB+Yは美しいだろうとうったえられてもねえ。RGB+Yで描画している写真をRGBのディスプレイで見ても美しいのなら、そもそも私にはRGB+Yのディスプレは必要ない。


2010/03/06

帰って来たヨッパライ

フォーク・クルセイダース : 帰って来たヨッパライ

マイケル・ジャクソンが亡くなったことよりも、私には加藤和彦が亡くなったことのほうが感慨深い。

思い返せば中学生のころ、もう40年以上も前のことであるがフォーククルセイダースの「帰って来たヨッパライ」は私にとって衝撃的な出会いであった。
近くの店でイヤホンで聞く500円のラジオを買って「帰って来たヨッパライ」が流れてくるのを聞いていた。何度も何度も聞いた。何度も何度もラジオから流れていたからね。

テープレコーダーにゆっくりしたリズムで歌を録音し、それを2倍の速さで再生すると、可愛くって、とぼけていて、愛嬌のある音声になる。
ほんの少しギターが弾けるようになっていたもんで、自分で作詞作曲してフォークルの真似をした。アングラ・ミュージックという言葉も何かゾクゾクワクワクするような面白さが潜んでいて、勉強大嫌いな私はフォークソングにはまりこんだ。

私の音楽好きはこのから始まっており、ゼファーズというバンド結成も中学生だった。当時若者に人気のあったMBSヤングタウンという番組に出演しフォークルのメンバーである北山修にスタジオで出会ったり(単に偶然同じスタジオに居合わせただけですが)、YAMAHAポップスコンテストで特別賞をもらったり・・・で、20歳を過ぎたころには本気で作曲家になるぞと考えていたりもした。
今思えば、作曲家になるなんて笑い話なんだけれども、さあどうだろう、現在でも曲作りではそんじょそこらの軟弱なプロフェッショナルより才能はあるんじゃなかろうかと勝手に思っていたりしていてね・・・。

私の音楽好きは加藤和彦さんがいたからではないだろうか。ずっとずっとそう思っている。

2009年10月、加藤和彦さん死去。亡くなってから数ヶ月たつんだけれども、その間、中学生のころ、高校生だったころ、今の家内と出会ったころの事。私たちの仲間で毎月毎月フォークコンサートを開催していたころの事。そんなこんなを思い出すことが多くなった。

2010/01/31

1月31日(日曜日)

ここのところ日曜日には会社に出かけて、あれこれと残務整理をしていたけれども、今日は休んだ。土曜・日曜と二日間休日。
家内が「おとうさんのジーパンとか買わんとね、セーターはもう30年も同じもの着とるで」とかいうわけで、車に乗って出かけたわけ。ジーパンは1,500円ほどだった。家内が支払いをしたのでよく分からない。セーターは買わなかった。若物風のものしかなかったからね。これから40年、いや50年間も同じセーターを着るかもしれない。

椅子、椅子、そうそう椅子。
中古屋さんに立ち寄って椅子を買った。目をつけた椅子には値札がついていない。価格をたずねると15,000円と・・・。なんか店員のお兄さんの値段のつけ方が怪しげだったけど、まあいい。
今、パソコンの前に座っているわけだけれども、机は家内が私の家に来た時の嫁入り道具だ。椅子も同じく嫁入り道具だなんだけれども、ガタついてきてギコギコと音がするし、表面の布は破れてる。上下調整の固定用ネジがバカになっていて調整不可能。嫁入り道具の椅子には愛着があるんだけれどもね。買った椅子と取り替えた。新しい椅子の座り心地は・・。いいね。
夜11時。タバコが無くなったのでコンビニへ。コンビニまでは、ほんの200メートルほどなんだけど、寒いので車で。空を見上げたら満月だった。ファミリーマートでマイルドセブンを二個調達。
以上、小学生の作文にも劣る、私の日記。

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