2011/09/09

雑踏の中の孤独 神戸編

本職サラリーマンなもんで、神戸まで出張。

とはいうものの、神戸なんてのは私の会社から電車にのって20分もあればたどり着くのだけれどね。和田岬にある名高きM社への出張である。
仕事の話はともかく、帰り道に新長田駅近くにある「鉄人28号」を見てきた。その広場では28号ビヤガーデンだったか、鉄人ビヤガーデンだったかをやっていて。オジサンやオネエさんで超満杯だった。

夕方5時ごろ会社へ戻るかと、JR新長田から電車に乗ったのだけれど・・・まあ、なんでオバチャンがこんなに多いのだろう。乗っているのはほとんど女性。何か女性のためのイベントでもあったのかいな、と思いつつ、ふた駅。それにしても、あまりにも女性が多いではないか、と思いつつ、もうひと駅・・・・。あまりにも女・・・・あ、なんてこった。電車の中をよくよく見ると女性しかいない。男は私ひとり。やっちまった。
「雑踏の中の孤独」そのまんまや!
女性専用車両なんて、まったく気づかなかったもんだから。と、気づいてから、あとひと駅。このひと駅の時間、長かったこと。
家に帰って家内に話したら「気色わるー このじじい」と、一喝。
以上。

2011/07/26

カメラ


その昔・・・20歳を過ぎた頃だから・・・30数年前、ミノルタの一眼レフ(もちろん当時はフィルムカメラ)が愛機だった。部屋を真っ暗にして現像したり、風呂場で写真の水洗いをやったりで、いろいろと思い出のあるカメラ。
時代は変わりつつあり1995年にはカシオのQV-10。市販デジタルカメラの先駆けだ。早速買った。今思えばなんと貧弱なデジカメだったかと思うが、まあ適当に遊ばせてもらった。それから、なんと10万円近くもしたエプソンのCP-800。これは電池がすぐになくなるのでほとんど使い物にならずで、家内がだれかにあげた。もらった方も使い物にならないので困ったかもしれない。
次に、息子にもらったオリンパスのC-2とかうやつ。レンズの蓋を開けるとレンズの筒がジュイーと音を立てて出てくるやつ。プラモデルの撮影につかったな。

で、きのう、カメラを買った。ニコンのデジタル一眼レフ。
私にはカメラの良し悪しなんてほとんど判らない。ただ、ブランドというのは大切だなと、世に出す商品は違うにせよ精密機器を製造している会社に務めているワタクシとしては、あらためて実感することとなった。なにせ、色んなメーカーのカメラが並んでいる店先で「やっぱりニコン」と決め込んでいる自分がいる。パナソニックやソニーのほうが素晴らしいカメラを作っているのかもしれない。でも、やっぱりカメラはカメラ屋でなけりゃと脳みそに書きこまれていて、それは簡単に消え去ることはない。
ブランド力は大切だ。バッグなんかのワケのわからない外国ブランドものを欲しがる女性に対して、なんて馬鹿野郎な人種だと普段言っている自分からしてそうなんだから。
でもね、ニコンよりキヤノンにするかと、少しだけ傾いたのは、ニコンのキャラクタが木村拓哉さんだったから。歳の60前のオヤジは、キムタクの宣伝するカメラは嫌だね、と、どこかで本能的に感じてる。もっと歳いったバリバリのカメラマンがキャラクタだったらニコンはもっと売れてるんじゃないだろうか。キムタクさんもブランドのひとつとして君臨しているのであって、60前のオヤジはニコンブランドのプラスと、キムタクブランドのマイナスがひしめき合っている(ちょっと大げさ)。
ニコンを買ったのはカメラのキタムラ。キムタクとキタムラは何か似ている。たまたま似てるだけで、それがどうしたと言われても、どうもしない。

2011/06/05

ゼファーズ / なかよし おのころ たこやき 楽団

ゼファーズ/なかよし おのころ たこやき バンド我がバカ息子が、隣の部屋でギターを弾いている音が聴こえてくるもんだから、「お前よりはオヤジの方がウマイぞ」と、知らしめてやる意気込みで久しぶりにギターを弾いてみた。左の指が痛い。指の先っちょがギター弾きの様に硬くなってないもんね(ちなみに、アコースティック・ギターならバカ息子より私のほうがうまい・・・絶対に!・・と、意気込んでみる)。


あんなこんなで昔の写真を眺めていたら一枚の写真。
中学2年生の時、『ゼファーズ』というアコースティックのバンドを結成。そのころはアコースティックなんて言葉は一般的ではなかったのでフォークグループとか言ってたな、たしか。他の同級生はローリングストーンズのジャンピング・ジャック・フラッシュなんかやってた。私たちのバンドはひたすら自作。4人とも作詞作曲をやって、名曲数々ありだ。
この写真は、たぶん20歳過ぎの撮影だと思うから。『ゼファーズ』から『なかよし・おのころ・たこ焼き・楽団』とバンド名を変えてたね。場所はS市の市民会館のようだ。
私はウッド・ベースを弾いてるけど「掴みベース」とか呼んで笑いの種にしてた押さえ方をしてる。左手のくすり指と小指のポジションなんか構わず、ネックと弦をギュッと掴んでしまう弾き方。この頃のアマチュアベース弾きはほとんどが「掴みベース」だった。ギターなら、まあまあそこそこ弾けるけど、バンジョー、バイオリン、フラットマンドリン、フルート・・・・はてはピアノまで人前で弾いたりしたから、我ながら恥知らずで度胸があったといえる。

2011/03/16

バグパイプ

本職サラリーマンなもんで、年に一度、私の部署の人達と旅行にいったりなんかもするんですな。
バグパイプ
飛騨高山へ行ったわけで、ぶらぶらと散歩してると「バグパイプ」という店があった。
私はカメラを持っていなかったので一緒に散歩してた一眼レフを持ってた若い社員に撮影してもらった。
「バグパイプ」のカンバンをメインで撮るようにお願いしたので全体像がよく分からないけどね。


2011/01/22

本名 エルデ10008823

誰の耳にも聞こえない 3万サイクル笛の音-----。

8823謎の人
8823海底人
正義の勇者だ
ハヤブサだ!!
30000ヘルツの音を聞き分ける海底人8823
2億年前、地球に大接近した彗星のために大陸が海の底に沈んでしまった。その住人の生き残りが海底人になったのだ。
「エルデ10008823」は、その海底人のひとり。ひょんなことから地上に出たのだけれども、地上ではちょっとぎこちなくて、勇という少年に助けてもらったという経緯がある。あんなこんなで色々あって、勇少年は海底人の本名10008823の8823だけを取って「ハヤブサ」と呼ぶようになった。
ハヤブサは助けてもらったお礼に3万サイクルという人間の耳には聞き取れない高い周波数の笛を勇に渡す。
「何か危機がせまったらこの笛を吹いて呼んでくれ、人間には音は聞こえないけど 私には聞こえるからね」
こうして「海底人8823」の物語は始まるのであった。

ヒトの聴力は、若い人で2万ヘルツくらいの高い周波数の音は聴き取れなくなる。通常は1万5,000ヘルツくらいから聴こえなくなるらしい。勇少年がハヤブサからもらった笛は30,000ヘルツなのでヒトには聴こえないわけだ。海底人はこんな高い周波数の音でもって水中でコミュニケーションをしていたのだ。
なぜ日本語が使いえるのか、なぜ水中でも陸上でも呼吸ができるのか・・・そんなことを考えてはいけない。なにせ8823は正義の勇者で謎の人なのだから。

ちなみに、ヘルツ(Hz)は、国際単位系(SI)における周波数・振動数の単位で、ドイツの物理学者ハインリヒ・ヘルツからとっている。現在ではサイクルという単位は使わないよね。

2010/11/28

弦の並びが対称になっているギター

弦が11本あって、それぞれ端っこに1弦が一本づつ。中央に向かって2弦、3弦となる。中心が最低音のE線だ。
左右対称なので「シンメトリック・ギター」とでも名付けましょうか。
左右対称に弦を張ってあるシンメトリック・ギターエレクトリックギターとかスチール弦のアコースティックギターでもいいんだけど、やはり楽曲を奏でる独奏楽器を想定して、ここはクラシックスタイルのガットギターにしてみた。
冗談で、グラフィックソフトを使って写真編集してみたんだけれども、これはこれでなかなか実用的ではないかと思う。ちょっとこの楽器の特徴を記載してみることにする。
  • 右利きの人、左利きの人、どちらもこのギターを使うことができる。
  • ギターを弾ける人は、特別な技量を習得する必要はない。
  • 11本あるので、共鳴弦としての役割をはたすので音に厚みが出る。
  • 旋律を弾く場合、2本の弦を同時に弾くことによりユニゾン奏法が可能。トレモロ演奏も味がある演奏になる。
  • 簡単なコードフォームであれば、6本以上の弦を使って和音を出すことが可能。
  • 市販のナイロン弦を使用することができる。もちろん全数張り替える時は2セット必要であって、第6弦が1本だけ余るんだけどね。
いかがだろう。
実は、すでに11弦ギターというのが存在しているけれども、これはリュートの古い楽曲を演奏するために作られたもので、少し小型で全体に高い音程になっているので一般のギターとは別物と考えたほうがいい。
この「シンメトリック・11弦ギター」は、通常のギターとまったく同じ技量で同じ弾き方ができる。ちょっと練習をすれば、多彩な奏法も可能なのだから、これはギターの歴史を変える画期的なアイデアではなかろうか・・・。いかがだろう。

2010/11/21

燕市

本職サラリーマンなもんで、新潟県の燕市へ出張。

大阪23時27分発の『寝台列車 急行 きたぐに』に乗って東三条まで。
東三条には、翌朝7時45分ごろ着。東三条駅のホームでウロウロしていた時、我社の鉄ちゃん課員から電話があって「弥彦線の発車までは後一時間ほどあるので東三条の駅を出て、どこか喫茶店かなんかで朝飯喰ったほうがいいですよ」と、バカ上司(私のこと)にアドバイス。アドバイスにしたがって東三条駅前に出たが喫茶店等なし。売店でパンと缶コーヒーにて朝食。
東三条からは弥彦線で燕へ。

燕駅に着。
Yahooの天気予報はあたらず。傘なしで雨が降る中、目的の会社を探す。民家風の家々が並んでいるので工業都市というイメージはまったくない。◯◯工業株式会社とか大きなカンバンがあって、大きな敷地にドカーンと建屋があるなら、そこを目がけていけばいいのだけど、街並みは民家である。人通りも少ない。印刷したGoogleの地図は雨にぬれてクシャクシャになった。目的の会社にはすぐ近くまで来ているはずなのだけど、迷子の迷子の子猫ちゃんになった。電話をかけると1分ほどのところです、とかで車でむかえに来てくれた(ちなみに私は方向音痴で場所音痴で地理音痴である)。

燕市は小さな工場集まった町で、洋食器生産では世界的なシェアをほこる。ステンレスの加工についてはこの町全体が高い技術を持つ集団となっている。プレス、熱処理、表面処理など専門の業種が集まっているが一社だけでは製品(商品)が完成しない。それら各専門メーカーを束ねる仕組みが必要である。燕市では、受注活動と生産管理を行い、出荷までの責任を負う会社が存在しているわけだ。
ステンレスの食器だけでは発展が難しいというわけで、最近ではファミリーレストラン/回転寿司などの食品を集中して調理生産している、いわゆるセントラルキッチンの設備なども請け負っており、さらに、産業用機器の部品も手がけている。
私は産業機器のメーカーの調達部門の一員であり、この出張は、とある社長に会って商談をまとめる仕事。要求する部品は「絞り加工」といって平べったいステンレスの板を立体的に整形する加工。相当に難しい技術が必要であり、燕市の技術でなければ安価で高品質なものはできないという判断があった。

私が面会した社長いわく「この町には1400社くらいのメーカーがあります」と。
一瞬その数字を疑っってしまったが、民家だと思って玄関の扉を開けると、そこは機械加工の工場だったりするらしい。
この工場で絞り加工をやりますというわけで、プレス加工をやっている企業へ案内したもらったけどそこの作業者は6人だけだった。「これでもこの町の中堅どころです」とのこと。プレスの仕事以外はやっていない。
小さな会社がこの町に集中してつながり合っている。燕市は町全体がひとつの企業になってるわけだ。

追記
帰りは東京経由で新幹線。

2010/11/06

The Beatles 1967-1970

ザ・ビートルズ本職サラリーマンなもんで、ちょこっと仕事で名古屋へ出張。昼飯食うのに地下街を歩いているとレコード店・・・とはいわないか、CD店というのかな、よく分からないけど、とにかくCDを売ってる店で目についたのが「The Beatles」

昔に買ったレコード(針を落として聴くやつ)も持ってるのだけれども、なんとなく買ってしまった。青版とかいうらしい「1967-1970」。

20年か30年かぶりに聴いてみた。あらためて、ビートルズはヘタだね。20世紀最大のポップミュージシャンであることは完璧に認めるし、ジョン・レノンもポール・マッカートニーも飛び抜けた才能を持っているし歌唱力も絶品。でも、案外と楽曲として奏でるのはへタッチだということは語られないね、なぜか。
当時の録音技術のせいもあるのだろうけど、録音を手がけた技術者もなんか素人っぽい。
有名どころの曲で言えば、たとえば『ヘイ・ジュード』。ドラムのフィルインはモッチャリしてて「一生懸命やったんだね えらいね」というくらいのレベルだし、スネアの音もタムの音もペタペタという感じの音で薄っぺらい。そして、ベースはジョージ・ハリスンが弾いているらしい。これは、ちょっとギターを弾けるようになった中学生が「お前いっぺんベース弾いてみいや」というわけで無理やりベースを弾かされた・・・というくらいの技量。いや、ジョージは意識してメチャ単純にボーン・ボーンと弾いているのかな。ギターの音も、そう、なんであんなギャンギャンと鳴るんだろう。もっと、スッキリ透明感のある音が出なけりゃボツでしょう。
とかなんとか、あれこれなんだけれども、こんな録音で超大ヒットしたんだな。

追記1:「人間が楽器を弾いている」というのが伝わってくるので、実はこんな録音がわりと好きだったりするんですね。
追記2:ビートルズはヘタだということは、Webではずいぶんと語られてるね。ちょっと安心した。

2010/08/28

設計図も無しに勝手にできあがった

この宇宙に文明をもった生物は地球人以外にいないであろう。
なにも科学的に云々という難しい理屈でいっているのではなくて、ただそう思うのですよ。だって、奇跡の地球というけれど、地球の存在は奇跡すぎる奇跡であって、その奇跡すぎる奇跡が何重にも起こっているというこの奇跡。
さらに、現在を生きている生物が生物として存在し、子孫を残していく仕組みの複雑さ・・言い換えればうまく出来上がりすぎの生物の体。これも奇跡。
なんで、子孫を残すことができる、こんな複雑な化学反応物体が勝手に出来上がるか。勝手に?・・そうそう勝手にだ。あたりまえだけど人工的にできたわけではない。
こんなもの他の地点で、宇宙がどんなに広かろうとも、この奇跡には勝てない。ただ、そう思うのですよ。

文明。そもそも生物が生きていくために文明なんて必要ない。脳みそが少し大きくなった猿は、地球の土の中や空中に存在する素材を使って道具をつくり始めた。
いったいこの原動力は何だったんだろう。しまいにゃ、宇宙が出来上がった時代がどうのというとんでもないことまで考え始めた。そして、この宇宙に文明を持った生物が存在するのかという域に達した。

もっと根本的に、この宇宙になぜ電気という物理現象があるの?なんで光は屈折するの? こんなことは物理学者はちゃんと答えをもっているのだけれど、私の「なんで」は物理的な理屈をきくこでではない。
電気という現象が存在しているから、その現象を説明できるのであって、もともと電気という現象がなかったら説明しようにもその存在がないのだから説明しようとする学者はどこにもいない。
もし、電気というものがなかったら17世紀か18世紀か分からないけど、そのころから文明は発達をやめている。光が屈折するという現象がなかったら、100万年たっても夜空に光る星は暗黒の空に開いた穴でしかない。
宇宙の誕生。銀河系の誕生。太陽系の誕生。地球の誕生。月の誕生。生物の誕生。人の誕生。文明の原動力。この宇宙に文明をもった生物がいるかどうかという確率。その計算の意味はなんだろう。
この宇宙の片隅に、人というソフトウェアとハードウェアを備えて自力で移動し、複製を生産できる物体が存在する。しかも設計図も無しに勝手にできあがった。ありえない。ありえないのにありえている。

2010/07/17

テレビは50年間、3原色でした

シャープのディスプレイ 色表現の技術なかなか大胆でインパクトのあるコマーシャルを流すS社である。


ほんの少し「色」について知識のある方なら、あれっと思うのであって、批判もしたくなるでしょう。現にネット上では「4原色という表現は違うだろう」との反論があちこちで書かれたりしている。
おそらく、企業としては少々の批判を受けるのは覚悟の上で、テレビCMに踏み切ったのだろうね。「テレビは50年間3原色でした。学校で習った、3原色の原理です。けれど、それは全ての色じゃなかった。4原色で、テレビが変わる」という、やりすぎギリギリのナレーションは企業競争に勝つためですな。

ただ「3原色は間違いで4原色だったのです」いう意味合いののことを、超有名女優が言うもんだから、それをそのまま科学的原理の修正として信じてしまう人がいるんだろうなと思うと少し心配になる。
RGBがもともと光の3原色で、Y(イエロー)を追加して4原色という無理やり表現になっている。一方では、紙などに印刷する場合はCMY+Kという色の要素もあるので、よけいにワケの分からない状態にしつつあるようでもある。

最後に、いくらなんでも、これはオカシイよ、というのをひとつ挙げておくことにしよう。
RGBでの表示とRGB+Yでの表示が、どの様に違うか。RGB+Yのほうが美しいのですよというのを、載せているWebページがあった。
2枚の画像(写真)を左右にならべて 「この違いを見よ!RGB+Yのほうが美しいだろう!」というわけ。金色に輝くサックスの写真だ。
これは変。何のこっちゃ。
私が、見ているディスプレはRGBなのにRGB+Yは美しいだろうとうったえられてもねえ。RGB+Yで描画している写真をRGBのディスプレイで見ても美しいのなら、そもそも私にはRGB+Yのディスプレは必要ない。


2010/03/06

帰って来たヨッパライ

フォーク・クルセイダース : 帰って来たヨッパライ

マイケル・ジャクソンが亡くなったことよりも、私には加藤和彦が亡くなったことのほうが感慨深い。

思い返せば中学生のころ、もう40年以上も前のことであるがフォーククルセイダースの「帰って来たヨッパライ」は私にとって衝撃的な出会いであった。
近くの店でイヤホンで聞く500円のラジオを買って「帰って来たヨッパライ」が流れてくるのを聞いていた。何度も何度も聞いた。何度も何度もラジオから流れていたからね。

テープレコーダーにゆっくりしたリズムで歌を録音し、それを2倍の速さで再生すると、可愛くって、とぼけていて、愛嬌のある音声になる。
ほんの少しギターが弾けるようになっていたもんで、自分で作詞作曲してフォークルの真似をした。アングラ・ミュージックという言葉も何かゾクゾクワクワクするような面白さが潜んでいて、勉強大嫌いな私はフォークソングにはまりこんだ。

私の音楽好きはこのから始まっており、ゼファーズというバンド結成も中学生だった。当時若者に人気のあったMBSヤングタウンという番組に出演しフォークルのメンバーである北山修にスタジオで出会ったり(単に偶然同じスタジオに居合わせただけですが)、YAMAHAポップスコンテストで特別賞をもらったり・・・で、20歳を過ぎたころには本気で作曲家になるぞと考えていたりもした。
今思えば、作曲家になるなんて笑い話なんだけれども、さあどうだろう、現在でも曲作りではそんじょそこらの軟弱なプロフェッショナルより才能はあるんじゃなかろうかと勝手に思っていたりしていてね・・・。

私の音楽好きは加藤和彦さんがいたからではないだろうか。ずっとずっとそう思っている。

2009年10月、加藤和彦さん死去。亡くなってから数ヶ月たつんだけれども、その間、中学生のころ、高校生だったころ、今の家内と出会ったころの事。私たちの仲間で毎月毎月フォークコンサートを開催していたころの事。そんなこんなを思い出すことが多くなった。

2010/01/31

1月31日(日曜日)

ここのところ日曜日には会社に出かけて、あれこれと残務整理をしていたけれども、今日は休んだ。土曜・日曜と二日間休日。
家内が「おとうさんのジーパンとか買わんとね、セーターはもう30年も同じもの着とるで」とかいうわけで、車に乗って出かけたわけ。ジーパンは1,500円ほどだった。家内が支払いをしたのでよく分からない。セーターは買わなかった。若物風のものしかなかったからね。これから40年、いや50年間も同じセーターを着るかもしれない。

椅子、椅子、そうそう椅子。
中古屋さんに立ち寄って椅子を買った。目をつけた椅子には値札がついていない。価格をたずねると15,000円と・・・。なんか店員のお兄さんの値段のつけ方が怪しげだったけど、まあいい。
今、パソコンの前に座っているわけだけれども、机は家内が私の家に来た時の嫁入り道具だ。椅子も同じく嫁入り道具だなんだけれども、ガタついてきてギコギコと音がするし、表面の布は破れてる。上下調整の固定用ネジがバカになっていて調整不可能。嫁入り道具の椅子には愛着があるんだけれどもね。買った椅子と取り替えた。新しい椅子の座り心地は・・。いいね。
夜11時。タバコが無くなったのでコンビニへ。コンビニまでは、ほんの200メートルほどなんだけど、寒いので車で。空を見上げたら満月だった。ファミリーマートでマイルドセブンを二個調達。
以上、小学生の作文にも劣る、私の日記。

2010/01/23

Google日本語入力

Google日本語入力

27~28年ほど前だと思うが、80万円近くするパソコンを買ってワードプロセッサーとして文章を書いていた。「かな漢字の辞書」は5インチのフロッピーディスクに入っているので変換するたびにディスクドライブがカッチャンと音がする。当時はドットプリンターしかなかったので、連続用紙にジー・ジー・ギー・ギーと音を立てながらギザギザの文字を印刷したものだった。

時代は変わり、ジャストシステムの一太郎に付属しているATOKという日本語変換ソフトを使うようになった。これは逸品であり、日本語入力はこのソフトで決まりであって未来永劫これを超えるものはありえないと思っていた。いや、今でも日本語変換ソフトはATOKが最高なのかもしれないのだけれど。
とはいえ、マイクロソフトがワードやエクセルなどを統合したOffice製品に日本語変換のソフト(MS-IME)を組み込んだためにATOKの知名度は極端に低くなった。商売上の政策やかけひきなど裏話も表話も盛りだくさんだろうが、ともかくOffice製品がシェアを伸ばし勝利している。

そんな中、2009年の12月、Googleがやって来た。Google日本語入力の謳い文句はこうだ。
Google 日本語入力は、変換の煩わしさを感じさせない思いどおりの日本語入力を提供します。
豊富な語彙
Web で使われている膨大な用語をカバーしています。
優れたサジェスト
数文字入力するだけで候補を表示します。
すべての環境で
メールやチャット、オフィスソフトなど、いつでもどこでも利用できます。Windows と Mac に対応しています。
とある。
また、ある雑誌には、Google日本語入力は、Web上のデータを元にしており、そのサジェスト機能は今までのIMEでは考えられないほど膨大である、専門職の学者などからは「近年で最高のフリーソフト」だと絶賛されている、とも。
サジェスト(suggest)とは「明示する」「示唆する」という意味であり、この場合は予測する・・・つまり予測変換・・・ということになる。
Google社では勤務中の20%の時間を自分の好きな研究に使って良いというルールがあるのをご存知の方もおられると思う。
Google日本語入力は、この「20%プロジェクト」で開発が開始されたそうだ。プロジェクトの中心は二人の日本人技術者で、若い頃から大規模な日本語の情報処理に長けていた人物である。

ともあれ、無料であるとうことで早速インストールして使ってみた。この文章もGoogle日本語入力を使っている。
私の名前を「もりて」まで入力するとフルネームが漢字で出てきた。私の名前は読みづらく、漢字で書いてあるとほとんどの人が・・・いや、すべての人が正しく呼んでくれないのだけれども3文字のかな入力で私の氏名が出現するのには驚いた。私の務めている会社、私の作ったグラフィクソソフトの名称など、ほぼ数文字で候補に揚がる。レスポンスはすこぶる良い。いったいどんな仕組になっているのだろうかと、私のようなボンクラ中年男が考えても分かるはずもない。
マイクロソフトのMS-IMEは、一旦誤変換をしてしまうと、いつまでたっても誤変換が続くことがあった(私の操作が未熟なせいもあるかもしれないが)。
私の本職はサラリーマンであり、商売上の語句を使うことが多い。 注文番号のことを「注番」と略して表記するのが通常であったり「納期」「納入」とかという単語などは頻繁に使う。MS-IMEではなぜか、単語登録していても一発で出てこない。入力済の前文を解析して語句を選んでいる便利機能がマイクロソフト得意(?)の「おせっかい」として影響しているのかもしれない。
このしつこい誤変換はGoogle日本語入では無かった(私の数日間の経験の中で)。

Google日本語入力は、日本語の情報処理や日本語入力ソフトを研究していた日本人が作ったものである。私たちにとっては突然現れたソフトだけれども、前段階で十分な経験やノウハウが蓄積された上での作品なんだね。
「Google日本語入力はATOKやMS-IMEを超えるか?」という記事があったが・・・うん、そうだね。超えてるんじゃないですかね。


2010/01/01

火不思

火不思、三弦、三線、三味線 id=

火不思は何と発音するのだろう。日本人がそのまま読むとカブシとなるのだろうが、調べてみるとクーブーズ/コブス/ホーブスーなどのカタカナ表記がある。また「くわふし」というひらがな表記も存在した。
アルファベットの表記では Huobusi/qobuzなど・・・・さらに、漢字では、和必斯/虎撥思/琥珀詩/胡不思/胡撥四も存在する。
これは、文字表記より先に言葉があってそれぞれの地域で音声を文字に置き換えたためにこうなった。長い歴史を持つ謎に満ちた楽器である。
13世紀ごろモンゴルより中国に伝わったともいわれ、発祥の地はトルコだともいわれている。
中国のサイトには・・・・

火不思:蒙古族弾撥楽器
流伝于中国新疆 内蒙古 甘肅北部及云南省麗江納西族自治県等地

・・・・とあり、よく判らないけれども「蒙古族の弦楽器」であることや「中国新疆に伝わった」とか言う内容は読み取れる。
ヘビの皮を張ってあるが、どのような経路で入手したのだろう。大蛇(ニシキヘビ)である。北の国にこんなでかいヘビはいない。
いよいよ謎である。火不思という文字がなおさら謎を増幅させる。

中国では現在でも使われてい三弦(さんしぇん)という楽器があるが、これは古代の火不思がルーツであろうと思われる。
日本(沖縄の)の三線(さんしん)は中国の三弦が伝わったものであり三味線(しゃみせん)は三線をもとにつくられた楽器である。つまり、三味線はトルコかモンゴルの楽器が日本に伝わったということになる。
ヘビの皮だったり、イヌやネコの皮だったりするけれども胴に皮を張って共鳴させるという構造は同じだ。
そういえば、カザフスタンにコブズ(Kobyz)という弦楽器があり、火不思と発音が似ている。これもやはり皮を張ってある。
トルコ、カザフスタン、モンゴル、中国、日本・・・アジアの「皮張り弦楽器」の原点は火不思にあり、か。

さらにさらに、アメリカの「皮張り弦楽器」でバンジョーがあるが、これは西アフリカンゴニ(ngoni)とかハラム(xalam)か呼ばれている楽器を改造したものだといわれている。火不思との関連は・・・判らない。


2009/11/03

セブン

Windows7

ウルトラセブン、ナターシャセブン、ロータスセブン、マイルドセブン、女性セブン・・・セブンもいろいろあるけれど
2009年10月 ウィンドズセブン発売

windows7はVistaの「不満を全部解消した」とある。
この宣伝のしかたは、ちょっとおかしいな。マイクロソフトのOSは xp→Vista→7 とバージョンが進化したわけであるが、いったん評判の悪いOSを作ってしまって、評判の悪いVistaより「よい」という宣伝文句はいかがなもんか。

「高速そして軽快」であるとのこと。
起動はVistaの3割減ということで劇的に早くなったらしいが、3割早くなったところで劇的ではない。2分が1分半になっても、遅いは遅いままである。2分が10秒にならなければ劇的ではなかろうと思うのだが。
まあ、この表現は宣伝文句として許すとして、なぜこのように大きな差が出たかという理由がまた変。
ある雑誌には、劇的に早くなった理由として「内部で同時に起動するサービスプログラムを61個から49個に減らした」とある。「7ではこれらのサービスを精査して本当に必要なものだけに絞った」らしい。バカヤロウ。そんのはOSの改善か。
そして、こんなのも。
「Vistaでは大きなストレスになっていたユーザーアカウント制御(設定を変えようとしたりプログラムをインストールしようとすると出てくる警告画面)を緩和した」と。
もう一度、バカヤロウ。そんなのOSの改善か。

マイクロソフトも色々と苦労しているに違いない。世界中にこれだけ便利な機器を世に送り出すことができ、経済の発展を支援したのはマイクロソフトだ。
なんだかんだと言いながらも、パソコンを安価で身近に使うことができるのもマイクロソフトのおかげである。PC本体を作っているハードウェアメーカーやその下請け企業もみんなWindowsのお陰で発展してきた。私個人だって、今もWindowsのお世話になっている。
おそらく、これからもWindowsを使うであろうから「7」のパソコンは買わなくても、いつかは厚化粧のパソコンを使うことになる。舞台衣装にする必要はなく、普段着の服装で作りあげていただきたいと願うのであるがね。

さあ、はたして、この厚化粧は会社などのビジネス用途で実用となるかが心配である。厚化粧で鈍重なVistaは事務用OSとしては不向きであり、ほとんどの企業の情報システム部門は見向きもしなかったはず。
「7」も厚化粧のままである。ほとんどのユーザーはパソコンの何が変わったか...新しくなったか...は、内部の難しい機能の変化ではなく、見た目...つまり画面のデザインだけで違いを見てる。
画面のデザインや表面的な使い勝手以外は難しくってわからない。デザインを変えて、サービスプログラムの数を減らして、煩わしい警告画面を廃止して、「はい新しいセブンです」ときても、納得しにくい。
もちろん、技術的に詳しいほんの一部の方はOS内部の改革を賛美するかもしれないけど、私のような一般市民は、「早くて、安全」を望んでいる。企業での採用は見送られて、一般家庭では新しいOSになる。このギャップをどう乗り越えるかが今後のかだいだろうね、とエラそうなことを・・・・。
そいういえば、1996年発売のワープロソフト「一太郎7」は動作の重さなどで、この頃から評判を落としてしまった。「セブン」は、なぜかしら敏感で早そうなイメージがあるのだけど、どうしたんだいヘヘイ ヘイ。ウルトラマン太郎はなんかモチャリした感じだが、ワープロソフトとウルトラマンの因果関係は特にないと思われる。

ワタクシゴトではありますが、ちょっとした遊び心でグラフィックソフトを作っている。私のソフトはWindows7でも動作するようだ。私は「7」のパソコンを持っていないので私自身では動作確認をしていないのだけれど、だれかが確かめてくれているようでして、その旨をWebで公開してくれていたりする。どうも、ありがとうございます。拙作のソフトは現在Ver 6.6なので、次は「7」にしようかなともくろんでいる。
という私は、マイルドセブンをスパスパやりながらキーボードをたたいている。


2009/10/02

雑踏の中の孤独の中の「雑踏の中の孤独」

突然停電。
「家内が、パソコンだいじょうぶ?」と私の部屋に入ってきた。携帯電話のディスプレイの明かりを懐中電灯の代わりにしている。なるほど。

缶ビールを冷凍庫に入れていたら凍ってしまった。グラスに移し変えようとしたけど出てこない。無理やり缶を押しつぶすと凍ったビールがムニュムニュっと出てきた。

「宇宙のはなし」という本を読み始めた。
なぜ宇宙が存在するのだろう。宇宙が存在しなかったら「無」か。無であることをだれが判断するのだろう。

もっと、生活に密着したもの・・・電気というのはなぜこの世に存在しているのだろうか。光というのはなぜこの世に存在しているのだろうか。光というものを認識する生物がこの宇宙に発生しなかったら「光」は存在していても「光」として認識されない。生物がいなければ光の存在すらない。

なぜこんなに、この世は、これほどまでにうまくでき上がっているのだろうか。奇跡であるというが、奇跡がこれほどまで多く積み重なっているなんてありえない。ありえないのにありえてる。ありえない世の中。うまくできあがりすぎている宇宙に生命としての自分がいる。

電気がなければ、コンピュータなんてありえない。今、文字をデジタル化している。冷凍庫で缶ビールが凍る。なぜ凍るんだ。冷たくてなかなかうまい。そもそも「うまい」ってなんだ。

とてつもなく小さな惑星の表面で、泣いたり笑ったりしてる。おかしいな。
おかしいっていったい何だ。


2009/04/25

中国製

チェロ
中国製のチェロを買った。
Webでの通信販売でなんと25,000円だ。一桁間違っているわけではない。25万円ではなく、2万5千円である。弓もちゃんとついているし、簡素ながらソフトケースもついている。どうにもこうにもビックリ価格であるし、この値段にしてはよく出来ている。

日本の製造メーカーは安価な中国製の部品を買ったり、加工を委託したりして原価を下げることに精を出したりしてるが、中国で作った部品は品質が悪く苦労が耐えない。高くなるけども、致し方なくやはり日本で部品を作るしかないということで中国製は断念したということも多々ある。
中国製は品質が悪い。確かにその通りなのだけれと、考えてみれば、日本の楽器はそもそも中国から日本に伝来したものがほとんどだ。紙に文字を書くという根本的な文化もしかり。「子 曰く・・・」という教えも、学問も大陸から学んだのではなかったか。
日本のものづくりは世界レベルではトップクラスであるが、中国を馬鹿にしてはならない。おそらく近いうちに日本のものづくりのレベルに達するだろう。長い歴史の中、日本人は中国人にたくさんのことを教えてもらったのだ。
中国メーカーの多くは、そしてその従業員は品質がよくなければ世界に通用しないという思いがあまりないようで、自分が勤める組織が発展すれば自分もよくなるという概念が薄いようだ。だから部品製作も組み立ても適当にやって楽をしようということになる。
だけど、個人個人の製作能力が低いわけではない。「こうすればいいものができる」「品質がよくければみんなによろこんでいただける」という思いがしっかりと分かれば、日本にはすぐに追いつく。だって中国はあらゆる面で日本人の先生だったのだもの。

で、中国製のチェロにもどろう。
25,000円でこの品質はたいしたものだ。ナット(糸巻き部からの弦を配置する部分)の弦溝がゆがんでいるのと、A弦(一番細い弦)が最初からついていなかったので弦が3本しかなかった。さすがに(?)中国製というところか。
でも、ちゃんとチェロだ。
輸入販売をしている諏訪楽器の対応が早いのにも驚いた。
弦がついてないことをメールで送ったのだが、1時間ほどすると電話がかかってきた。「申し訳ありません、すぐに宅急便で弦を1セット送らせていただきます」との連絡。
チェロの弦はセットで買うと高級なものは5万円はする。1本、1万円以上だ。もちろんこれはヨーロッパの高級ブランドの弦なので、単純に比べるのはちょっと違うかもしれないが、チェロ本体が(もちろん弦もついて)2万5千円で、弦だけが5万円というこの格差はおもしろい。
かくして、中国製のチェロは立派にチェロであって、立派にチェロの音がする。私はうまくチェロを弾けるわけではないが、ある程度は音の良し悪しは分かる。
幾千年の歴史を経て、再び日本は中国を師とする時代が来るのかもしれない。


2008/08/14

DVDやCDの保存耐久性

DVDやCDの保存耐久性 デジタルで保存すると劣化しない。カセットテープの音楽、VHSのビデオ、フィルム写真。みんなデジタルに変換して保存すれば永久保存できる、と。
ところが一方では、DVDやCDの保存寿命は10年から100年といわれている。
これはおかしい。
永久保存とは100年のことではない。ましてや10年のことであるはずはない。おどろいた事に、品質の悪いディスクでさらに保存環境が劣悪な場合は一週間で読み取りができなくなったという報告もあるようだ。

永久とは、とある辞書によると「いつまでも限りなく続くこと。また、そのさま」とあり、私たちの日常使っている永久という言葉の認識と一致している。永久保存といいながら、実は「7日間しか寿命がないかもしれないディスク」を保管用媒体に使っているわけだ。

過去には「酸性紙問題」というのがあった
1950年頃より木材パルプと硫酸アルミニウム紙の大量生産技術が開発され、書籍にもこの紙を多く使った。ところがこの紙、50年間も経たずに劣化したのである。茶色っぽく変色する。それだけならいいが、触れただけでもボロボロになってしまう。保管環境のよい図書館の書籍もこの紙(酸性紙)を使ったものはことごとく劣化してしまった。これが酸性紙問題。現在は中性紙が使われているためこの被害はない。
ここで、「50年も経たずに劣化したのである!」とのフレーズは重要だ。つまり「たった50年という短い期間で・・・・」ということなのだから。
紙に印刷された情報と、デジタルの情報の違いはある。だけど、重要なのは時代が変わってもその時必要になった情報を「人」が正しく認識できることである。アナログでもデジタルでも最終目的に変りはない。

「永久」を現実的な数値に置き換える
永久という言葉の意味にこだわっていると話が進まない。言葉の解釈を現実的なものに変えて数値であらわすならば、200年くらいの寿命が必要だろう。しかも10枚のディスクのうち2枚は100年で読み取りができなかったではダメであって、10枚とも読み取れなければならない。だから、実力は300年またはそれ以上の耐久性が求められるのかもしれない。
中には1,000年以上の耐久性があるもが含まれているとしても総合的には意味が無い。どの固体ディスクをとっても200年以上保証できることが大事なのだ。

記録する方法が違う
1982に発売された音楽CDはいまでも、変らず再生できる。デジタルなので音質そのものが悪くなることもない。CDの寿命は「10年以上」と表現はあいまいではあるものの、少なくとも30年くらいは寿命が保証されている、かと思いきや、実はそうではないのだ。
市販されているCD-ROMは私たちがパソコンで使うCD-Rとは記録方法が違う。音楽や映像を記録し市販されているCD-ROMはピットといって小さな穴を刻んでいるため堅牢な記録ができている。対し、一般のパソコンで記録できるCD-Rは有機色素を変化させているので軟弱な記録だ。
市販されている音楽CDのように堅牢な技術で記録されているものが30年の耐久があるのは当たり前である。30年も経たずして読み取れなくなるのなら過去の酸性紙問題にも劣る。
私たちが、パソコンで記録しているDVDやCDの耐久性は実環境下では未検証なのである。

本当の耐久性は分からない
ディスクの品質
ディスクの基盤は耐熱性・耐衝撃性・透明度に優れているポリカーボネートというプラスチックが使われている。ポリカーボネートの品質、有機色素の品質はもちろん、生産にも高度な技術が要求される。記録部分をはさんで、厚さ0.6mmの基盤2枚をサンドイッチのように張り合わせる。この張り合わせる高度な技術がディスクの品質を左右する大きな要素だという。
ディスクの平面度が悪かったり、回転軸に対し中心がずれていたりしているものは品質を語る以前の最低な製品だ。
ディスクの生産において、日本の技術はトップクラスであることはご承知の通りであるが、市販されているディスクはどこで作られたものかわかりにくい。
保存環境
温度(高温になると劣化しやすくなる)
湿度(湿度が高いと劣化しやすくなる)
紫外線(紫外線は色素を劣化させる)
物理的破損(ディスクの表面にキズがつく、ホコリがつく)
これら製品の品質、保管環境によっては数日間でダメになってしまう場合もある。

加速試験
記録ディスクの推進団体CDs21ソリューションズは2008年1月15日、同団体が開発してきたCD-RやDVD-Rなどディスク寿命推定試験法が「ISO/IEC 10995」として承認されたと発表した。ISO(国際標準化機構)とIEC(国際電気標準会議)の承認を受けたことにより、この測定法がメーカーなどに浸透することが期待される(以上ニュースの記事を引用)。
100年でどれだけ劣化しているかを知るには100年待たなければ分からない。そこで加速試験というのをやる。加速試験とは、悪環境で試験を行い、通常の環境に換算するとこうなる、という理論的な結果を出す方法だ。劣化が加速された状態(例えば温度が80℃ , 70℃ , 60℃)を実測し、その劣化度合を常温(例えば25℃)にあてはめる。
もちろん、こんな単純な要素だけでの実験ではないはずで、厳重な管理の下あらゆる環境要素や物理的理論が盛込まれているのだろうけど、そのあたりは専門家に任せよう。実際、アイリングモデルといって湿度の影響も考慮した手法が採用されるらしい。

技術的進歩の明暗
デジタルデータの保存に関しては、機器もソフトウェアも媒体も劇的に進歩しているので、案外、保存耐久性なんて気にしなくもよい時代がすぐそこまで来ているのかもしれない。何万年でも大丈夫という堅牢確実なディスクの誕生はあるだろう。
劣化なんてまるっきり気にしなくてもよい時代。ああ、それなら安心。
そうだろうか。
劇的に進歩しているということは、数十年先に、DVDやCDを読み取る機器が存在しないかもしれないということだ。そうなればディスクに耐久性が良かろうが悪かろうがどうでもよい。要するに読み取る手段がなくなってしまう。技術の進歩というのは、便利と不便が同時にやってくるもののようだ。

デジタルはいったい何を残してくれるのだろう
時代が変わってもちゃんと閲覧できればいいんだけでど


2008/07/12

文書を保存・・・時代が変わっても ちゃんと閲覧できればそれでいいのだけれど

文書ファイル生成 ワタクシごときにそんな大したことはできるわけがないのだけれども、勤め先の会社では文書や図面の保存や管理をどうしたら効率よく行えるかを考えることが仕事のひとつでもあったりする。
図面の管理は PDM とか PLM とか呼ばれているシステムがパッケージとして存在していて、製造業を営む多くの企業が電子図面を保存して製品の部品構造もひっくるめて管理しているようだ。

文書の管理は難しい ・・・・・ あれこれあり過ぎて
中途半端なのは文書。
報告書、計算書、業務日誌、手紙、計画書、単なるメモ書きにいたるまでパソコンで電子ファイルとして保管するのは当たり前。紙にペンで書いた書類を2穴パンチで穴をあけて保管している方は、いないでもないだろうけど稀なはず。
これら電子文書の保管管理は様々だ。個人個人それぞれだし、作成編集用のソフト(ワープロや表計算ソフト)もそれぞれだし、保存場所もそれぞれだし、気のきいた文書管理ソフトがあったとしても、その文書管理ソフトがまたそれぞれ。
それぞれがいっぱいなので、限りなく「それぞれさまざま」になってしまう。
中途半端なのは「この方式で行こう」という業界標準も企業方針も有りそで無さそで ウッフンという状態。
これではいかんというわけで、世界的な規模で文書保存の統一性が叫ばれるようになってきた。ただ、アプリケーションソフトを作っているメーカーは我こそはと自社のソフトの優秀さを宣伝し、時には強引な方法で国際標準フォーマット(例えばISO)の認可をとろうとしたりしている、らしい。

もしもPDFが
PDFはISOの文書フォーマットになっている。一企業の技術で大切な文書を保存管理するのは危険が伴うが、国際標準となれば一応は安心だ。

危険とか安心とかいうのはどういうことか、意味不明な方にちょっと説明しましょう。
アドビ社が倒産するなんてありえないのだれども、何百年という未来を見据えた場合、仮説としてありえるて考える。
パソコンの性能がどんどん向上して、ハードウェアもOSも高性能になっていく・・・それに合わせてPDFのプログラムを改善し仕様を整えることができなくなってしまった。なぜなら、アドビ社が倒産したので、元社員は漁師になったり、トウモロコシ作りに専念したりで技術屋はいなくなった。PDFに関する技術を持つ他の企業もあるだろうが、営業的に割に合わないからアップデートできない。
かようなわけで、この数十年間に作成した世界中の何十億のPDFファイルは1と0との記号の羅列になり下がり、全くもって閲覧不可能になってしまった。
少しふざけて書いたので実感がわきにくいだろうが、どんなファイルフォーマットであっても、今 作成している重要文書内容を未来に残せないということは十分ありえる。

正しく保存できて 世の中が変わっても必要なとき閲覧できればいい
世の中WordとExcelだ。
競争の社会でこうなったのだから、文句をいっても始まらない。
ただ、これが危険だというのも例外ではないのだね。Wordの "*.doc "が、そしてExcelの "*.xls" が世界標準ならいいのだけれど、そうはなっていない。
PDFならだいじょうぶか。ODFならだいじょうぶか。どちらもISO認定フォーマットだ。だいじょうぶだと信じておこう。PDFもODFも内部の仕様を公開しているので一企業の業績によって将来を心配しなければならないということはなさそうだ。ISO認定というのは、きっと誰かが、もしくは偉大なる団体が生涯面倒を見てくれるのに違いない。
私はアプリケーションソフトの業界についてほとんどというか全くもって分かっていないので、何とも言いようがないのだけれども、要求することは単純。文書をいつまでも正しく保管できて、管理できて、いつの時代にでも閲覧できる。それでいいわけ。
つまり、保管管理用ならPDFがあれば事足りる。PDFは動作がもっちゃりしているのだけれど、あと何年かすればハードウェアの性能が上がるので、PDF自身の動作スピードが上がらなくても改善は可能だと思っている。

作成編集用 と 保管・管理用
「文書を作り編集するアプリケーションおよびファイルフォーマット」と「文書を保存し管理するためのファイルフォーマット」を区分して議論しなければ、話がごちゃごちゃになる。
前者がWord / 一太郎 / Open Officeなど。後者がPDFやXPSだ。
ただし、Word / 一太郎 / Open Officeでも後者の「文書を保存し管理するためのファイル」として当然ながら使うことができる。だからこそ「それぞれさまざま」なんだけれども。

これについては、 ドキュメント保存用 ファイルフォーマット もちょっと読んでいただきたい。

私たちユーザにとっては、フォーマットがたくさんあると整理するのに難儀。確かに「競争社会としてそれぞれの企業は他社のフォーマットを素直に認めるわけにはいかない事情」があるのでしょうけどね。


2008/06/18

デジタルはいったい未来に何を残してくれるのだろう

デジタルはいったい未来に何を残してくれるのだろう
私がまだ30歳の頃、初めて使ったストレージはカセットテープだった。
知り合いの電気屋さんで100行ほどのプログラムを書き込んで遊んでいた。走らせると画面に線や丸や四角が描かれる。それだけのもの。これを保存しておくのにカセットテープを使う。音楽用のカセットテープなのでカセットデッキでも再生できる。ピーピー ガガピー ピキピキ ガー・・と甲高い音がした。

カセットテープの次はフロッピーディスクだ。
私が買ったパソコンには標準でフロッピーディスクは付いていないのでフロッピーディスクドライブも一緒に買った。両手で抱えなければ持てないような大きさで、値段は20万円近くしたのではなかったか。
この頃、ハードディスクなるものが存在することは知っていた。とても高速らしい。パソコンに固定でディスクを入れ替えできないけれど容量はフロッピーの100倍もあるぞ。ハードディスクに憧れはしたがフロッピーで充分であった。フロッピーディスクはカセットテープと比べたら比較にならないほど高速で扱いやすかったから。あ、そうフロッピーといっても5.25インチだから130cmほどの大きさでぺらんぺらんのやつだ。
当時の文書データもMIDIデータもこのディスクに入っている。捨てずに置いてあるが、事実上使い物にならない。もう当時のパソコンはない。もし5.25インチのフロッピーディスクドライブの中古品があったとしても、何十年も夏冬を過ごしてきたこのぺらんぺらんの磁気ディスクはもう記憶喪失になっているだろうと思われる。

あんなこんなで時代は変る。どんどん変る。
MOの230MB
CD-Rの600MB
こんな製品が出るたびに感激と不安。
そしてウェブの時代。
さらに容赦なく時代は変わり2008年6月の現在。
グーグルのGmail 6.8GB
マイクロソフトのSkyDrive 5GB
しかも無料。
あの頃、私の部屋に届いたPCに接続して使い始めたフロッピーディスクの何千倍の容量。いや、何万倍かもしれない。
とんでもない時代になったと感じるのは私のようなオヤジだけ。こんな時代が当たり前と思う年代の若者はこんな時代が当たり前なんだろうか。

インテルの創業者であるゴードンムーアが提唱したムーアの法則というのがある。
半導体の性能はは1年半で2倍になる」と。
この提唱は1960年代の話。
この法則はもちろん物理的な法則ではない。経験・知識からの予測である。 何十年もたった今でもこの予測がほぼ当たっているからこそ「ムーアの法則」が有名になったのだろう。
だけど、すごいのは、予測が当たっていることではない。性能はどんどん上がる、機器の値段はどんどん下がる。なんかすごいことになっていっている。そして、まだまだ続くこと。予測が当たろうが外れようが関係ない。すごいのはこの「すごさ」だから。

ああそう。さっき「感激と不安」と書いた。感激はわかるがなぜ不安もいっしょにやってくるのだろう。すごいことになっていってる。この裏になぜか不安が見え隠れしている。
文書も画像も音楽もデジタルになっていく。その容量が増えるたびに何かしら得体のしれないもやもやとした不安。うまく説明できないけれど、おそらくこういうことだ。

デジタルは劣化しない。私は技術屋ではないがこれくらい分かる。
だけど、デジタルは1,000年後の人類に情報を伝えることができるのだろうか。もし、伝えることがきるとしてもあまりにも情報が多すぎて、必要不要の区別が付かないので結局は総てがゴミ。何百億、何千億個と並んだ1と0は、未来の人々に「私たちの生活や喜怒哀楽」を伝えることができるのだろうか音楽・彫刻・絵画はどうだろう。

アナログは劣化する。だけど、遺跡から発見される木棺の文字。クロマニヨン人の壁画。これらはアナログだから残ったのではないか。「劣化」は違う言い方をいすれば「残る」を意味する。
劣化しないデジタルは劣化しないかわりに突然、読み取れなくなる。読み取れなくなるということは無くなったのに等しい。デジタル情報はいつか突然なくなるのだ。

1000年後マイクロソフトはどうなっているだろう。
グーグルが保管している途方も無い数の文字列とRGBを数値化したデータは、今後どうするの。貯め続けるの。そして永久保管するの。
100年も続く老舗の企業、優秀な企業。つまり企業が100年続くということはとても珍しいことなわけだ。まして何千年もつづく企業はあるのだろうか。
私が死んでもその蓄積されたデータは永久に残るのか。
そもそも永久とはどういう意味だったか。

「はいWebでの保管サービスは明日からおしまい。企業の責任としてストレージに溜め込んだデータはそのまま保管します」とか。でもその保管ストレージは何年間動き続けるだろうか。いくら長くても十数年で壊れるだろう。デジタルデータは入れ物がなくなると存在しなくなる。劣化しないけど無くなる。

地球ができて、生物が発生し、人類が誕生した。
米の作り方。マンモスの倒し方。嬉しさの度合い。悲しみの深さ。恋人への思い。ピアノの音。息子が書いた絵。青い空。太陽がはどの方向から昇る。月の影はウサギに似ている。私たちが知りえる事、「僕の心の柔らかい場所を今でもまだ締め付ける」のは感情・心・思い・・・それらはすべてアナログではないのか。

デジタルはいったい未来に何を残してくれるのだろう。


2008/04/14

一太郎 復活

ジャストシステム 一太郎 復活 一太郎復活のキーワードはODFとイメージチェンジだ。

今のところ、日本では世界標準規格のODFファイルはあまり騒がれていないけれども、数年後にはODFで保存して将来の互換性を確保しようという動きが出てくるだろう。 アプリケーションの呪縛など意識しないで自由に読み書きができる必要性に気づき始めるはずだ。

商売敵であるマイクロソフト社のOOXMLが日本でシェアをとるか、ODFが標準になるかはジャストシステムにかかっているといっても過言ではない。ジャストシステムはもっともっとODFを日本に流行させるべき。マスコミに任せるのではなくジャストシステムが動き出さなければならない。

一太郎ファイル、Wordファイル、ODFファイル。
日本でこの3つのファイル形式を同時に手に入れるのはJUST SYSTEMS なのだから。
今こそ復活のチャンス。
そして、本体のソフトウェアだけではだめ。一太郎ビューアはODFで保存できるようにする必要もある。

広告宣伝
ずいぶん前から。2000年ごろからかな。宣伝が下手だなと思ってた。一太郎という日本日本した商品名のイメージを広げようとしているように思えるのだけれど、ここは過去の栄光をばっさりと切り捨てて、都会的な宣伝方法に変えるべきだろう。
ビルのオフィス。バリバリの熱血サラリーマン。30歳前後の綺麗なキャリアウーマン。このあたりで押してみることにする。

デザイン
そして、パッケージのデザインがよくない。一太郎2004を含め、それ以降は最悪。ATOKのパッケージも最低。どちらも粉石鹸のパッケージかと思ってしまう。パッケージはどうしようもなく貧弱だけど一太郎のアイコンはキリっとしていい。あれでいこう。
アイコンと同じイメージでパッケージもデザインする。
赤と白と黒、これはイメージカラーとしてこのまま使うのがいいのだけれど、余分なストライプや模様は必要ない。赤い地に白い文字と黒い文字。これだけでいい。
あともう一つ言うと、「赤」はほんの少し黄色味をいれて彩度をちょっぴりさげる。
RGBで表現すると200,64,40(C84028)あたり。

名前
商品名を変える。これは勇気がいる。でもやりましょう。
justopia
Taroh
justix
とか、英文にする。過去の栄光を切り捨てるのだ。
ここはあっさりと
J-Documents
でもいい。

Justopia
みたいな感じ。

悔しいですが、「ニッポンの・・・」というイメージから脱却すべし。
よし、これで一太郎 復活

ちょっとふざけた表現になってしまった。でも、いたって本気のまじめ。


2008/04/13

自分をグーグル化する方法

効率が10倍アップする 新・知的生産術 自分をグーグル化する方法
「自分をグーグル化する方法」という副題がついた本を買った。

会社の帰り、本屋に立ち寄るといつも2~3冊ほど買い求めるがそのうちの一冊がこの本。いわゆるビジネス本というやつ。
はっきり言って「グーグル化する」するという副題だけで面白そうということで買っただけなんだけれども、読み進めれば読み進めるほど何か鬱陶しい感じが積もっていく。
なぜだろう。
3分の1ほど読んで、部屋の隅に転がっていたが、「いや、ちゃんと最後まで読まなきゃ失礼」と、3分の2から続きを読み始めた。

やっぱり息苦しい。

少年雑誌のような構成。自慢話。箇条書きにするほどのことはない箇条書き。しかも的を射ない箇条書きの連発。

こんなふうに息苦しいと感じるのは私だけか。
この本の副題とダブってしまってお笑いではあるけれども、グーグルで検索。評価を調べてみた。
Webでの評価はいい加減なのが多いのは承知の上である。本を売ろうとしているページは最上の評価が載っているし、2ちゃんねるでの評価はこき下ろしである。両極端なので落ち着いて世間の意見を読み取る必要があるくらい判っているつもりだ。

で、そんなこんなで、あっと驚いた。ベストセラーの本だった。
こんなに売れている本だとは知らなかった。そして納得もした。すごく売れてる本というのは読書家に売れているのではなく、普段本を読まない人に売れているんだね、やっぱり。

普段本を読む人と読まない人では読まない人の方が多い。普段本を読まない人は内容の良し悪しとは関係なく、はやりの本を読む。その数はやたらと多い。
普段本を読まない多数の人達によって、はやりの本はどんどん売れる。出版社にとっては好循環も好循環。
アクセル全開状態だ。

本を読んで感動したことのない人達は、どんな内容であっても感動した感動したを連発する。
どんどん売れる本は良い本なのか駄作であるのかなんて論じるとバカにされるかヒガミ根性の持ち主と嫌われる。「はやりか はやりでないか」「売れているか 売れていないか」だけが話題になってしまう。
売れている本を読んで「良い本だ」と評価することは自分を正当化し、かっこいい人間であることをアピールしているに過ぎずなかったりするのだ。

かようなわけで、おそらく、この本は普段本を読まない人に爆発的に売れているのだろうと思われるのだが、どうだろう。
または「自分をグーグル化する方法」などというキャッチコピーらしき宣伝文句につられて買った中年男もたくさんいるかな。

もうひとつ違った見方をしてみよう。
経済評論家、慶応義塾大学卒業、19歳で公認会計士2次試験突破、早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程在学中。公認会計士、戦略コンサルタントなどを経て経済評論家として独立・・・2005年ウォールストリートジャーナルから「世界のもっとも注目すべき女性50人」に選ばれる。などなど・・・
と、著者紹介にある。著書も多数。

これがいけない。
こんなすごい人は、とんでもなくすごいことを書いていると読み手は思う。
「ホームレスなんとか」を例に出すのは場違いだけれども、若い漫才師がこんな本を書いたのならそれこそ尊敬するし、ぶっちぎりファンになる。
でも違う。この本は少しだけすごいことを書いているだけであった。
一貫して物足りなく息苦しいのはこのせいだったようだ。
著者の輝ける経歴はその著作内容とうまくマッチしていない。そして、こんなすごい人でも書く内容はこの程度なんだという安心感も一緒についてくるのは面白い。この安心感はなぜか最後まで読んでみようとする原動力にもなっているから不思議な本ではある。さすがにベストセラーか。


プロ野球のテレビ観戦で素人が選手のミスを批評できるように、千のうちの一つの不手際を凡人が批判することは容易い。
十の能力しか無いのに千の能力がある人物を批評するのだからおっちょこちょいも甚だしいが、世の中これはまかり通っている。私も図に乗って、まかり通っている儀式に則り。痛くもかゆくも無いであろうたわ言を少しばかり。

「集中管理とは情報を一定の物理媒体、例えば巨大なHDDにすべてを格納することで散逸を防ぐことができる機能です。」(書籍より引用)

そもそも、「集中管理」「物理媒体」「HDD」「散逸」なんて言葉は、読む人の生活環境や職種によってはまったく聞き覚えのない言葉。よく分からない人はカッコイイ表現とでも思うのかしら。

巨大なHDDという表現は少し間抜けな表現なのだけれど、そんなことはどうでもよくて、「集中管理とは」の定義に誤解があるようだ。
一つの物理媒体(HDD)に情報を収納することを集中管理であると読み取れてしまう。
同じ情報があっちにもこっちにもあって、それが編集されて少し違う情報になり、それがコピーされてまた編集されてがくり返さる。その結果、なにが本当か、原本はどれか最新版はどこへいった状態になる(情報の拡散)。こうならないように複数の誰もが、ただ一つの正しい情報にたどり着くことができるようにした管理。これを集中管理というのではなかったか。
一箇所のハードディスクに保存しても情報拡散は起こる。複数のハードディスクであったとしたも情報が拡散されずに管理されていれば何万人の人がアクセスしても同じ最新情報を得ることができる。その仕組み(システム)を集中管理という。

そしてこの、散逸(さんいつ)という難しい言葉。情報の散逸のことである。
情報の散逸とは、一定の場所に蓄積されているにも関わらず、どんどん新しい情報や似た情報で膨れ上がって、整理しきれずワケ分かんない状態になってしまうこと。つまりローカルのディスクにすべてを格納しようが、社内サーバであろうが、Webであちら側に格納しようが情報のゴミ化はおこってしまう。
情報の散逸をおこさないようにするための手法が「巨大HDD」への格納ではないだろう。 手法は別物だ。その別物の一つとして、著者自身が「グーグルデスクトップがある」と書いてあったではないか。
情報をカテゴリーに分けることは、含まれるプロパティが多岐にわたるためどこかで無理が生じる。
Yahoo!が主たる検索エンジンをディレクトリ型からロボット型に切り替えたのもこのあたりにあったのだろう。
ローカルエリアでの検索はグーグルデスクトップだけではなくマイクロソフトにもある(Vistaでは標準装備)。もちろんWebではYahoo!も、さらにmooter、Ask、百度などなど情報検索の技術はただただビックラらこいたとしかいいようがない。何でこんなことができるんかいなと思うのみなり。
情報の散逸をなくすには「ちゃんと整理する」「検索技術にたよる」ことになるが、これらのノウハウをしっかり書いてくれたらこの本の題名である「知的生産術・グーグル化」に見合った内容になるんだけどね。
私たちはこの手法に苦労しているのであって、それを知りたくてこの本を読み始めたのでは・・・・あ、単にはやりだったもんだから読み始めたのだったか。

そして、こんなことも

私の専門は会計ですが、企業の決算を見る時には、損益計算書だけでは不十分なので、必ず貸借対照表とキャッシュフロー計算書を合わせて見ることにしています。(書籍より引用)

はあ?
会計の専門ではなくても、企業の決算を見る時にはこれら財務諸表を解読するのはあたりまえでしょう。
私は会計の専門ではないどころか、コンビにでポテトチップスを買うときですらつり銭勘定の引き算がすぐにできなくてあたふたするくらい計算能力が貧弱だ。だけど、この財務諸表くらいは知ってる。
会計専門のお方が「貸借対照表もキャッシュフロー計算書も見るようにしています」ときたもんだから、びっくりするよ。
あと、

毎月50~100冊の本を買ってる、90%は捨ててるか寄付してる。(書籍より引用)

おもしろいのは、本のカバーには毎月「100冊の本を読んでいる」のうたい文句があり、本文には上記の通り「50~100冊買っている」になっている。
この数字と表現に違いをとやかく言ってもしょうがなさそう。

とか、

3~6ヶ月ほどWebでアフィリエイトをやってみた。一ヶ月あたり52,500円しか手に入らない。ブログ更新などの手間がかかるので、時間給に換算すると割りに会わない。(書籍より引用)

あはは、完全に読者をバカにしている。
ブログ更新は手間がかかるばかりで金儲けにつながらないので駄目。それなのに、別のページでは執筆能力を高め、本を出版する意気込みでブログを有効に使いなさい、とくる。
これっていったい何。

さらに、
特定メーカーや商品名がめったやたらとでてくる。型番までも記載されていたりする。ページの最後にはソフトや機器を紹介しているカラー写真もあり、冒頭に書いた「少年雑誌のような構成」というのはこのことだ。
広告宣伝としての商売に関連しているのかいないのか、どっちでもいいんだけど、書物の威厳をなくしてしまっている。私とて、わざわざこんなどうでもいいことをことを書いたりするつもりはなかったけれども、あまりにも鼻持ちなら無い内容なのでこんなことまでついつい。大人気ないね私。

最後に総まとめとして、この本の副題である「自分をグーグル化する方法」というのはいったい何だったのか(私には)皆目わからなかった。
え、この本の題名ですか。
効率が10倍アップする---新・知的生産術---自分をグーグル化する方法
と表紙に印刷されてます。


2008/04/05

文書ファイルの標準化

文書ファイルフォーマットの標準化 ODF とOOXLM

ISO(国際標準化機構)は米Microsoftのオフィスファイルフォーマット「OOXML」をISO/IEC(国際電気標準会議)の標準規格として採択したことを正式に発表した。
2008年4月のニュースだ。

一太郎6は感動ものだった
私はワープロを25年間ほど使っている。
古くは、PC8801で動く「JET88」
MS-DOSで動く「一太郎4」
Windows3.1では「一太郎6」
この一太郎6は感動ものだった。ワープロといえば、ただ単純に文字を現在のテキストエディタのように淡々とタイプしていく「日本語文字を作成するソフト」だったが「一太郎6」は違った。漢字やかなに変換してくれるだけのワープロが絵も入るし文字は大きさやフォントを帰ることができるし、なんとレタリングも画面上でやってのける。レイアウトも自由。
イチタロウ、なんて凄いことができるんだと心底感激した。ちょうどDTP(デスクトップパブリッシング)という言葉がはやり出したころでもあった。
同時期、表計算ソフトでは「ロータス123」にもびっくり仰天。円グラフや棒グラフがほぼ自動で完成するその高機能ぶりは怖いとすら感じたほど。
「一太郎」も「123」も未来永劫不滅のソフトである。そう信じていた。信じていたというか、これ以上凄いソフトが世の中に現れるはずはないと、ただぼんやりと脳みそに定着していたようだ。

月日は流れ、ワード(Microsoft Word)現わる・・・・。
アメリカの会社がちゃんとしたワープロを作れるはずがない。ましてや日本語のワープロは扱う言語が日本語だよ。私は、英語のワープロがあるなどとは夢にも思わなかったし、ワープロとはキーボードで打ったカナを漢字に変換してくれて印刷ができる機械であるとの定義だった。
だからアルファベットのワープロなど存在価値はないとの理屈が宿っていた。
だけど違った。
ワードは突然出現したわけではなく、少しずつ確実に一太郎を侵食していった。
そしてさらに月日は流れ、マイクロソフトの一人勝ちになったのはご承知の通り。ワードとエクセル、加えてパワーポイントは不動の座を得た。
PCを扱う月刊誌は「一太郎・ワード」「123・エクセル」の解説が併記されている時代があったが、いつの間にか一太郎と123は消えてしまったではないか。

多くの会社では標準オフィスソフトは「マイクロソフトのワードとエクセルを使うべし」となっているようだ。シェアが増えるほど、ますますそのソフトは強くなっていく。一太郎がどうのという日本市場の話ではない。世界レベルでの話。
となると、ワードとエクセルこそは未来永劫不滅のソフトか。
あやしい。すこぶるあやしい。私のような社会の動向経済に弱い男でもマイクロソフトはぼやっとしてはいられない大きな転機に来ていることくらい判る。

無料のオフィスソフト
マイクロソフトオフィスと同等機能の安価なオフィスソフトが市場に出てきたが、それはそんなにインパクトはない。衝撃なのは無料のソフトが配布されるようになったことだ。
もともとドイツの会社が制作販売していたソフト群であるが、米国サンマイクロシステム社が無償配布を始めた。さらに、2000年にはこのソフトのソースコードを公開。Web上では「OpenOffice」「StarSuite」の名はよく目にするようになった。
店頭で販売される場合は(販売というくらいであるので)有償であるが、店頭品と同等のものがGoogleからであれば今すぐ手に入る。
かつ重要なのはODFというファイルフォーマットである。今まで、アプリケーション固有のフォーマットでファイルが作成保存されるため、他社が互換ファイルを作ることは安易ではなかった。ODFはオープンドキュメントファイルであって、オープンなのである。
ソフト制作固有メーカーでなくても互換性を整えたアプリケーションであれば閲覧・編集・保存ができるようになる。私たちPCの利用者はこのオープンというキーワードに注目だ。

マイクロソフトもOOXMLという同等のファイルフォーマットで対抗しており、ISOにも認可されつつある。もともと ODF はISO標準規格として認定されているのでなにかしら面白くない。
いや、決してOOXMLを否定しているのではなく、同等のファイルフォーマットが同機能であるのに二つも存在していることが面白くないわけだ。これから開発されるソフトがどのフォーマットを採用するのか、また、どちらをも採用することになってしまうのかなど、何かしらすっきりしない状況が予想される。
どちらか一つにしてくれ、と言いたい。私としては、ODFに首位を取ってもらいたいと願うのだが。

文書ファイルフォーマット ODF とOOXML


2008/01/01

電子化するほど紙使用量は増える

電子ファイル

2000年以上も前に発明された紙。
情報を記録閲覧する媒体として利便性を総合し、これ以上のものはいまだに現れない。
人は紙が大好きである。オトボケの駄洒落ではないが、だれもが神にたよって紙にも頼る。

日本では年間一人あたり「立ち木4本」を紙として消費しているらしい。 また、紙ゴミの焼却には年間約100~200億円もかかっているとか。
木材の消費を抑えなければならない、ゴミの増加を防がなければならない。
環境に対するは配慮はとても大切で実行していかなければならないのだけど、どうもうまくいかない。

会社では事務用の用紙をどうして減らそうかと「電子化だ」「OA化だ」「IT」だと騒ぐ。
でも、電子化を進めれば進めるほど紙を使うことになってしまっているのはうすうす気づいている。
電子化は紙を使いやすくする仕組み持っている。
ならば、もともと紙好きである人間どもは紙を使わずにいられないわけだ。

ワープロ・表計算ソフト・グラフィックソフト・スケジュールソフト・インターネットブラウザ・・・
どれをとってもメニューの[ファイル(F)]をクリックすると[印刷]という項目がある。これがある限り紙の使用は減らない。
プリンタメーカーは、どんどん高機能で安価な製品を出してくる。プリンタは紙を消費する機械であるからして、プリンタがなくならなければ紙は減らない。
紙を使いすぎると罰金という法律ができなければ紙は減らない。

文書の電子化がだめなのではない。電子化は検索機能・保管スペースにおいては紙と比べ物にならない高機能をもって保管管理ができる。ローコストオペレーションとして電子化はどんどん進めるべきだ。
ただし「電子化とは紙を減らすことなり」というのは間違っている。
「電子化すれば、紙を減らさなければならない」ということに気づくのだが削減に成功することはほとんどない。どんどん使う。

米国では2020年には「販売されるタイトルのうち90%が紙ではなく電子媒体となる」と予測をしている方もいるようだ。
おそらくだめでしょう。電子媒体の読み物は増えるけれども、IT化は紙を消費する仕組みも併せ持っている という矛盾した事実を知っておかなければ。

アドビのPDF。
PDF化された文書は電子ファイルなんだけれどもA4とかA3とかのサイズを基本としてフォーマットされている。 これは、紙に印刷されることを前提としているわけだ。
そういえばアイコンだって文書を示す場合は紙をデフォルメしたデザインだ。ワープロ文書もWebページも、画像ファイルまでも紙をデザインしている。

アイコンは語る。
「僕は 電子媒体でコンピュータに保存されているけど紙の代替ですよ。だから顔が紙の形をしてるんだ。人間たちは本当は紙のほうが読みやすくていいと いつも考えてるんだね」

どうしたんだい電子化。どこへ行くのかIT。

文書の電子化


雑踏の中の孤独


2007/12/23

Web管理者はカンダタをネットワークの糸で助けようとしたが

Webの糸


ある日の事でございます。
Web管理者は「世界中の家庭や個人につながっているディスプレイ」を何気なく見ていらっしゃいました。
ディスプレイには検索サイトがあり、個人のブログがあり、女性の裸体があり、情報を騙し取ろうとする悪人のサイトもあります。
Web管理者は極楽にいらっしゃるお釈迦様のように世界中の人のやっていることをお見通しなのです。管理者は朝の早くから女性の裸をニヤニヤとして眺めていましたが、お仕事のひとつである地獄サイトを閲覧されました。
ネットワークで犯罪を犯したものが収容されてる地獄サイトという仮想空間で・・・・・・。
・・・・・そのサイトの底に、カンダタという男が一人・・・・
短編小説 Webの糸

雑踏の中の孤独

2007/12/19

100年以内にはやめる

本

うんこをする時本を読む。
風呂に入っている時に本を読む。
通勤の時に本を読む。
パソコンのソフトやアプリケーションの解説書はパソコンの前で読む。
ずいぶんと本を読んでいる知識豊富な人だと思われるとつらい。アホウである。難しい漢字が書けない。暗算ができない。電話番号などの数字を記憶することができない。ついでに方向音痴である。
ここ数年読み物としての本をほとんど読んだことがなかった。若いころは小説やエッセイが多かったが、40歳を越えたころからパソコンの解説書とか雑誌がほとんどだ。
最近、通勤途中にデッカイ本屋が店を開いたので時々立ち寄るようになった。なぜか「読み物としての本」を読む気になった。私が、ここ一ヶ月間で読んだ本。

Web進化論
(梅田望夫)ちくま新書 740円
1億人の人から1円ずつもらうと、1億円たまる。実際には、集めるためにコストがかかりすぎて現実世界では無理な話。だけど限りなくコストが0に近ければ可能である。ウェブはそれができる仕組みを提供してくれる。「世界の情報を整理しつくす」という今までのどの会社とも似ていないグーグルの「すごさ」にも多くのページを割いている。

生物と無生物のあいだ
(福岡伸一)講談社現代新書 740円
科学としての読み物であるが、著者の生活の中で風景描写などがたくさん盛り込まれており読み物としては小説風な描き方でおもしろい。ただ、一貫性がない。野口英世の本性を 書き綴ろうとしているように見えて病原体のことを詳しく書くのかなと思えばさにあらず、自分の生い立ちが出てきたり。

ネット広告がテレビCMを超える日
(山崎秀夫・兼元謙任)マイコミ新書 780円
ハードウェアやインフラに進化によってもたらされる視聴スタイルの変化。Webビジネスで見られるロングテール現象など。テレビCMのビジネスモデルはやがて崩壊すると断言する。

思考の整理学
(外山滋比古)ちくま文庫 520円
学校はグライダー人間を作る。自分の力で行動しようとしない。グライダー人間は自分の力で飛んでいると錯覚してしまう。創造する人間、つまり自分の力で動き出す飛行機人間があまりにも少ない。

なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか
(嶋田淑之・中村元一)戦略経営協会 1,600円
世界に残る偉業といってよい。本当にすごい会社である。その成長のスケールとスピードは世界のIT企業に歴史のなかにあって空前絶後といわれる。
「まえがき」より引用

家内が「禁煙セラピー」という読むだけで絶対やめられるという本を買ってきて私の机の上に置いてある。
置いてあるが読んでいない。読んでもタバコがやめられなかったらとても意志薄弱な自分を再発見してしまいそうなので、読むのが怖い。なんと、すでに意志薄弱でありまする。
この本を私に手渡したのは家内であるが、時々マイルドセブンを10個いりパックを買ってきて私の机に置いてあるときがあったりする。

その時に家内から一言「もうこれでタバコやめなさいよ」と。
「わかった、いつか必ずやめる。100年以内にはやめる」

2007/12/17

ゴキブリとコンピュータウイルス

雑文 気まぐれ 思いつき編

うれしそう

私はほとんどテレビを見ないが、たまたまトレンドマイクロ社の日本代表がトーク番組に出演していたので見入ってしまった。
「一昔前のウイルスは面白がって作る愉快犯のようなものだったが最近では悪いサイトに連れて行ってパソコンからパスワードなどの情報を盗んだりする悪どいウイルスが増えてきている」
というようなことを話しておられた。

氏が嬉しそうに、にこやかに話されていたことがとても印象に残った。悪いウイルスのことをにこやかに話している。氏はウイルスを憎んでいない。
ウイルスを有難がっているようにすら思える。あくまでも私の印象である。

で、私はふと「ゴキブリホイホイ」を思い出した。
ゴキブリホイホイのメーカーはゴキブリがいなくなったら困るんだろうな。少しづつ捕まえて、減り過ぎないようにしておきたい。これがメーカーの本音ではないだろうか。

近くに家内がいたのできいてみた。
「ゴキブリホイホイでゴキブリは 減ったか?」
家内曰く、
「いや、減らへん。ホウ酸ダンゴ使ったらゴキブリはおらへんようになった。市販のホウ酸ダンゴより手作りのホウ酸ダンゴのほうがよく効くよ」
どうも、そうらしい。たしかに我が家にゴキブリはいなくなった(ゴキブリ亭主は一匹いる)。ちなみに私はホウ酸団子をまだ食べたことはない。

ウイルスによる被害からパソコンユーザを守るのが「コンピュータウイルス対策ソフト会社の使命」であるわけだが、「悪意あるソフトウェア」を駆除するよりも 「悪意あるソフトウェアを作る悪意ある人間」を駆除するほうがパソコンを使う人々にはどれだけ有難いことか。

少しづつ捕まえて減り過ぎないことを望んでいる。
会社を経営する姿勢としては 当たり前のことであるので、これ以上つっこんで書き綴るのは大人気ない。やめておこう。

でもちょっと、整理しておきたい。

  • 「ウイルス対策ソフトを作っているメーカー」はコンピュータウイルスを憎んでいない。

  • パソコンユーザは二つに分かれる。
    一つは「医学・生物学でいうウイルス」と「コンピュータウイルス」の区別がついていない人たち。
    もう一つはコンピュータウイルスを憎んでいる人たち。

  • 「ウイルス対策ソフトを作っているメーカー」は「医学・生物学でいうウイルス」と「コンピュータウイルス」の区別がついていない人たちが大好きである。

  • 「悪意あるソフトウェアの作者」と「ウイルス対策ソフトメーカー」のお客様は何億人といるパソコンユーザーである。

何かネガティブなことばかり描いてしまった。ちょっと反省。
私の勤めている会社には500台ほどのパソコンがあってすべてウィルスバスターがインストールされている。いままでウイルスによるトラブルは一度もなかったことを報告しておきましょう。
(追記)
特に関係ないがネガティブをタイプミスすると「根が恥部」になってしまうことを今、発見してしまった。

雑踏の中の孤独


2007/12/16

区別がつかない

素材作成 カオス

「医学・生物学でいうウイルス」と「コンピュータウイルス」の区別がつかない

どうも勘違いがおきている。
医学・生物学でいうウイルスは人間がまだ地球上に存在しないもっともっとはるか昔にいたのだけれど、コンピュータウイルスは違う。
人が作ったものである。
コンピュータウイルスを単に「ウイルス」と呼ぶようになって、前者のウイルスと後者のウイルスの区別がつかなくなった。

そんな馬鹿な、区別はちゃんとついている。
そりゃそうだ。人間が病気になってしまうウイルスとコンピュータが異常になってしまうウイルスとは違う。
分かっている。
でも、コンピュータウイルスも遠い遠い昔に地球上に発生していて、われわれはコンピュータを発明した時点からその自然の脅威と闘わなければならないと思いこんでしまっている。
コンピュータウイルスを作った人物を憎まないようになってしまった。
悪の対象としての区別をつけなくなってしまった。

区別がつかなくなったのではない、区別をしなくなったのである。
落ち着いて考えると常識として区別はちゃんとついているのに、普段はごっちゃになっている。

そして一部には本当に「医学・生物学でいうウイルス」と「コンピュータウイルス」の違いが分かっていない人もいるみたい。

常識があるのに少しおバカさんな人は「電子とかシリコンとかが突然変異を起こして意図しない電子構造ができてしまい、
それがコンピュータに悪影響をおよぼすんだ」と科学的な理論(?)を勝手に作り上げていたりするのかもしれない。

「感染」とか「ワクチン」とかいう言葉も感覚を麻痺させている。
コンピュータウイルスは自然発生したものであり生活する上で戦いつづけなければならない。
ボクたちを守ってくれる防御ソフトを作っている会社さんがんばって、てな具合。

中には「このウイルスに感染するとこんなことになってしまうのだ」とその攻撃性や悪どいやり口を絶賛してしまうような記事すら掲載されることもある。
「普段はパソコンの中に潜んでいて突然クリスマスの日に発祥する」とかいう記事を読むとセンスがよくてオシャレなウイルスという思いすらしてしまう。

怖い。
ワーム/トロイの木馬/ボット・・・などなど、このあたりに少々詳しい方は分類をして対処方法等に力を注いでくれているのだと思う。
だけど一般にパソコンを使用しているほぼ全員に近い人はすべてひっくるめて「ウイルス」だ。
かのWikiPediaには「著名なコンピューターウイルス」という項目があって、発生年代順に30ほどのコンピュータウイルスの一覧が載っている。

「著名な・・・」という表現は、なにか良いことに対して実力を発揮したものに使われることのほうが多いので
これまたなにか栄誉ある一覧表に見えてしまうではないか。

いよいよ、悪の対象としての区別がつかなくなってくる。

パキスタンやアフガニスタンではウイルスが携帯電話経由で人間に感染するといううわさが広まったことがあるらしい。耳から血を流してすぐに死にいたるとか。
医学・生物学でいうウイルスが携帯電話の表面にくっついて感染するというのではなく、コンピュータウイルスが電波に乗って人間にうつるというのだからお笑いである。
失礼。これのデマを本気で信じる人が多数いたならお笑いなどとは呼べない。

マイクロソフトがいう「悪意あるソフトウェア」という表現は賛成である。
コンピュータウイルスは人間が作ったものである。当たり前の感覚を呼び戻そう。
コンピュータウイルスを作ったその人物を憎みその行動を憎むという人間らしさを持とうと思う。

雑踏の中の孤独

2007/08/12

17年ゼミ

17年蝉
偉大なる生物

 ♪誰もいない海
  二人の愛を 確かめたくて
  あなたの腕をすりぬけてみたの・・・
南沙織の「17歳」という唄ですな。私もまだ高校生だった。ははは。

で、突然ではあるが北米には17年ゼミというのがいる。決して17年間のゼミナールの討議内容を一冊の本にしたというようなことではなく昆虫の蝉(せみ)だ。17年に一度土の中からもそもそと出てくる。大発生である。2007年の夏は70億匹くらいというから、世界人口より多い。とんでもない蝉だ。

17といえば素数。他の周期で発生する蝉もいるんだけれども素数年だと同じ夏に他のセミと出会うことは確率的にとても少ないから同種セミ大集団でエッチをして子孫を残し次の17年後に備えるというわけ。だから同じく素数の13年ゼミもいる。とはいうものの同じ素数の47年ゼミとか73年ゼミとかはいない。寿命に限度があるからだろう。

寿命。
そう、寿命。17年ゼミや13年ゼミは「素数ゼミ」とも呼ばれているらしく、この周期の不思議さに生物学者や数学者が研究しているというが、それにもましてすごいのは17年という寿命だ。17年はすごい。で、ふと南沙織の「17歳」という歌を思い出したわけだが、南沙織が生まれてこの歌がはやるまでの長い間と同じ年月を、奴らは土の中で木の汁をすって暮らしていたのだ(このたとえ話はあまり的確ではないようだが)。
セミは土から出てきてその夏の間には死んでしまう。「なんてはかない」というやさしい御仁もいらっしゃる。
そうだろうか。
なら、ミミズはどうよ。オケラはどうよ。一生、土の中だろ。セミの幼虫の土中生活はつらく厳しいものであるなら、ミミズもオケラも同じなはず。だったら、死ぬ前にミンミン・シャキシャキ・ジージーと大騒ぎして17歳にして空飛んでエッチして・・・こんなカッコいい生き方バッタにはできまい。

 ・・走る水辺のまぶしさ
  息も出来ないくらい
  早く強くつかまえに来て
  好きなんだもの私は今 生きている♪

17歳の少女がこんな唄を歌っている。
一方、17歳のはセミは(木の汁の)酸いも甘いも噛み分けて、一つの地球上生物として、子孫を残すため あらん限りのエネルギーを使い果たすのだ

そういえば、犬の寿命も17年くらいだ。17歳といえば老犬だ。セミのような生き方、犬もできない。
ひょっとすると、83年ゼミとかがいるのだけれども周期が長すぎて私たちが気づいていないのかもしれない。83年の周期で大発生するセミがいるなら私たち人間は生物としての生き方や哲学・存在価値すらセミに劣ることになる。犬がどうのと言ってはいられない。天国地獄・宗教・神・・・死に対する人間の弱さ恐怖を超越した生き方。地球生物の進化の頂点。おお偉大なる生物。セミ。

雑踏の中の孤独


2006/11/03

男と女の間には

Shadeで描いた3DCG

3DCG
コンピュータグラフィックスに凝っていた。
凝っていた・・・というか、現在、何を思ったかグラフィックソフトそのものを作っていたりするので絵描きはほとんどやっていない。3DソフトShadeに没頭していたのは40歳のころだったと思う。
つい最近私のコンピュータがまったく動かない状態になってしまい、保存してあるデータをすべて没にして初期設定からやり直した。わりと小まめにバックアップをとるほうなのでプログラムソフトもグラフィック作品もある程度復活させることができた。
さて、復活した3D作品をたまたま見ていたら、こんなのがあった。Shadeで描いている。
机の上に二つのビンがあってオトコとオンナが入っている。

 男と女のあいだには深くて暗い川がある
 誰も渡れぬ川なれど
 エンヤコラ 今夜も 舟を出す
 Row and Row Row and Row
 振り返るな Row Row・・・・♪

・・・というのは、今突然思い出した唄なのであまり関係ない。こういうヘンテコな絵を描くなんてのは若かった?からだろう(今よりは)。
私がアップしている別のサイトでは大判の絵を展示しているので、よろしかったらどうぞ。


創作コンピュータグラフィックス その1

雑踏の中の孤独


2006/08/27

8483105 という数字

マイカー時代の幕開け。ダットサン サニー 1000
サニー 1000

1966年(昭和41年)1月。
日産自動車は「このクルマにステキな名前を付けてください」と新聞広告を出した。
新型車の名前を一般から公募するキャンペーンである。
848万3105通の応募があったというから驚きである。歴史的な数字と言っていい。マイカーブーム到来という話題とともにこの数字は今もに語り継がれている。
もし私が応募していなかったら848万3104通になっていたのだから歴史的数字を私が左右したともいえる。

応募したときの車名ですか。うん。今でも覚えてる。
カールット。
何の意味も無い。

その頃、小学校6年生の私はボール紙を切って自動車を作るのに凝っていた。糊しろ付の展開した図を鉛筆でを描いて切り抜く。折り曲げて黄色いボンドで立体的に組み立てる。
10台ほど作ったかな。その紙自動車になぜかカールットという名前をつけていた。おそらく語呂がいいだけで適当につけた名前だっただろう。
私はその名前をそのまま日産自動車に送ったが、採用されるはずもなく、その新型車は「サニー」という名前に決まった。ダットサン サニー 1000である。(上の写真は日産自動車のhistory of Sunny からコピーさせていただきました)

今もクルマは好きである。ただしそのデザインに興味があるのであって、オヤジになってもプラモデルを作ったりしているがこれは内緒である。

ちなみに、1966年といえばビートルズが来日した年であり、加山雄三の「君といつまでも」が大ヒットした年でもあるらしい。


プラモデルの自動車

雑踏の中の孤独


2006/04/02

赤い鼻

トナカイとマンドリル 赤鼻はどっちだ
赤鼻は
マンドリルの勝ち


「真っ赤なお鼻のトナカイさんは・・・」と歌われるのではあるが、実際トナカイの鼻は赤くない。しかも毛が生えていたりするのでピカピカでもない。
確かにサンタクロースのソリを引っ張っているルドルフという名前のトナカイさんは生まれつき赤鼻でみんなからいじめられていたそうだ。サンタのおじさんが「お前の鼻は役に立つ」と雇い入れたらしいが。

断じて本物のトナカイの鼻は赤くない。明るくもない。

本当に赤いのはマンドリルだ。
マンドリルの鼻は本当に赤い。
真っ赤だ。
「ここに我が鼻あり」と言わんばかりに赤い。実験に使う丸底フラスコの形をしていて赤い。長い鼻より赤い鼻のほうがおもしろいのではないかと芥川龍之介を思案させるくらいに赤い。

マンドリルはアフリカに棲んでいるためサンタクロースはこの赤鼻を知らなかったに違いない。もし、マンドリルがフィンランドかどこかの北国に棲んでいたら「真っ赤なお鼻のマンドリルさんは・・・」と子供たちに歌われることになったであろう。と、いうくらいに赤い。

赤鼻マンドリルの壁紙(800x600)

(右上写真は FOTOSEARCH様のWebカタログ見本を使わせていただきました)


2006/02/16

輪郭の中にキッチリおさまる絵

はめ絵

 
北海道の「はめ絵」

「はめ絵」というと何か卑猥なことを想像される方がおられるかもしれない。
またジグソーパズルを思い浮かべる方もおられるだろう。
ちがう。
ここでいう「はめ絵」というのは、あらかじめ形が決まっていて、その輪郭の中にキッチリおさまる絵を描いたものだ。
上の絵は「魔法使いの子供」と題名をつけた。

四国もはめ絵に


2005/12/11

偶蹄類か奇蹄類か

麒麟
 きりん
麒麟

そもそも麒麟というのは麒麟であって、キリンではない。
獅子(しし)・鯱(しゃち)・獏(ばく)など、想像上の動物はたくさんいる。
ここに書こうとしているのはアフリカにいて首の長い動物のキリンではなく麒麟である。中国の想像上の動物であることは知っての通り。

麒麟は歩くとき、生草や虫は踏まない。他の生物を傷つけたり殺生をしない。潔癖症のようだ。曲がるときも直角に曲がるとか。
とても高貴な生き物であって、災いあるとやってきて、助けてくれる。
体は鹿(しか)、尾は牛、蹄(ひづめ)は馬、額は狼。頭には角があり、体毛は黄色、背には五彩の毛があるらしい。

おっと、ここで問題。「ひずめは馬」とあるが、はたして本当か?
ちがう。
麒麟の絵をよく見てほしい。麒麟麦酒の麒麟でもよい。割れ目がある。それは偶蹄類のひづめだ。
馬は奇蹄類だったはず。馬のひづめに割れ目はない。
想像上の動物であるので、このあたりはどうでもよいのだが、ふと気になった。

ぬけ出した麒麟(3Dグラフィックス)

2005/11/23

ベートーベン 交響曲第九番 「合唱」

ベートーベン 第九 喜びの歌
おいおい

そんな歌 ちゃうやろ


街で第九演奏会のポスターを見かけるようになった。
年末になると日本ではあちこちで第九が演奏される。なぜ年末なのかはよく知らないが、若いころテノールで合唱に加わったことはある。誰が・・・私がである。

ドイツ語のままだと意味不明。合唱の練習では日本語での意味も教えていただいた。
こんな感じだ。

おいおい そんな歌 ちゃうやろ
もっともっと気持ちのええ おもろい歌があるんとちゃうん
そんな歌 うたおうやないか

わあうれしい 神さんの火が光っとる
あそこにいるのはユートピアから来た娘さん
そうや 僕らみんなちょっとばかり酒をひっかけて
天にある楽園に行きたいもんや

世の中きびしいよってに
欲しいもんにはなかなか手が届かん
そやけど あんたの凄い力で
もういっぺん僕らのとこへ呼び寄せてくれや・・・・

これは、私の訳である。訳といってもドイツ語を訳したのではない。あっちこっちの資料を集めて、意味の大略をつかみ少しくだけた表現にしてみた。

歌詞の詳細は
「ベートーベン 第九 歓びの歌」に続く・・・・

2005/11/06

本物を見たわけではない

NJ号
NJ号

昭和28年。
横浜の日本自動車工業で生産されたNJ号
私が生まれたのと同じ年に作られた自動車ということでも興味がある。

空冷2気筒360CC,12馬力。
NJ号はリヤエンジンであるが、後に ニッケイタロー として生産開始した時はFRになっている。この時、日本軽自動車と社名も変更。

写真は私の手作りのNJ号。
本物を見たわけではない。雑誌の何枚かの写真と仕様寸法表を手がかりにプラ板とパテで作った。

ハンドメイドのプラモデル・・・・


2005/11/05

名刺 と パルテノン神殿 の 関係

黄金比 黄金分割
黄金比

1:1.61803・・・
1:0.61803・・・

どっちも同じ比率 。確かに神秘的。
もっとも安定し、美しい比率だとか。

名刺は黄金比率で作られている。確かに縦横安定した長方形かな。
それじゃ葉書は美しくないか。そうでもないだろう。
年賀状は総て黄金比になったとしたら
「おお、今年の年賀状は美しい」と思うか。さあ。

もっと壮大に。
パルテノン神殿は黄金比率。だから美しい。そうかな。
その比率に土台は含むのか。天井のどの部分までを含んでるの。パルテノン神殿のどこからどこまでが黄金比率なの。
写真に撮ったら遠近感を平面に映し出しているので黄金比であってもなくても比率なんて分からなくなる。
それでも写真を見て「さすが黄金比率だ美しい」と思うのかな。

黄金比/黄金分割

雑踏の中の孤独

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